権田保之助(読み)ごんだやすのすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「権田保之助」の意味・わかりやすい解説

権田保之助
ごんだやすのすけ
(1887―1951)

社会学者。明治20年5月17日生まれ。東京都出身。1914年(大正3)東京帝国大学文科大学哲学科(美学専攻)卒業。同大学助手を経て、1921年より大原社会問題研究所研究員。1924年渡欧。1925年帰国後、文部省委託を受けて調査活動に従事するほか政府の各種の委員会の専門委員として活動。1946年(昭和21)より日本放送協会(NHK)常務理事。都市化の進行する社会状況のもとで生活する大衆焦点をあてて、生計費調査をはじめ各種の社会調査を実施し、多くの実証的な研究成果を残している。とくに、大衆が自分たちの生活のなかで目的的に追求した芸能ないし娯楽実態を解明した『民衆娯楽問題』(1921)をはじめ大衆娯楽に関する研究は、今日のマス・レジャー問題を扱ううえで貴重な先駆的業績である。昭和26年1月5日死去。

[本間康平]

『『権田保之助著作集』全4巻(1974~1975・文和書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「権田保之助」の解説

権田 保之助
ゴンダ ヤスノスケ

大正・昭和期の社会学者,ドイツ語学者 NHK常務理事。



生年
明治20(1887)年5月17日

没年
昭和26(1951)年1月5日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝国大学哲学科〔大正3年〕卒

経歴
大正13年大原社会問題研究所在外研究員として渡欧。帰国後、日大芸術科講師、文部省専門委員などを務め、昭和21年日本放送協会常務理事に就任。ドイツ語辞典の編纂や、カール・ビュッヒャーなどの翻訳をするとともに、人間生活に娯楽の不可欠な意義を認めて学問対象として取り上げ、映画、寄席などの庶民の娯楽調査を実施した。「民衆娯楽問題」「民衆娯楽論」など大衆娯楽研究の先駆的業績を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「権田保之助」の解説

権田保之助 ごんだ-やすのすけ

1887-1951 大正-昭和時代の社会学者。
明治20年5月17日生まれ。大正10年大原社会問題研究所にはいり,13年渡欧。のち日大講師,文部省専門委員などをつとめる。昭和21年NHK常務理事。民衆の娯楽について調査・研究し,著作に「民衆娯楽論」などがある。昭和26年1月5日死去。63歳。東京出身。東京帝大卒。

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367日誕生日大事典 「権田保之助」の解説

権田 保之助 (ごんだ やすのすけ)

生年月日:1887年5月17日
大正時代;昭和時代の社会学者;ドイツ語学者。NHK常務理事
1951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の権田保之助の言及

【レジャー】より

…それに対応してナチズムもKDF(歓喜力行団)をつくり,大衆組織・統制の一環としてレジャーの組織化に大きな比重をおいていたことはよく知られている。日本でも大正期後半には権田保之助(1887‐1951)に代表されるようないくつかの〈大衆娯楽研究〉が顔をみせるし,1923年には大阪市社会部調査課編の《余暇生活の研究》(《労働調査報告》第19)といった先駆的な調査が行われるようになる。それは,日本でもずっとひよわいものではあれ,欧米の30年代に似た社会状況への胎動が始まっていることを示している。…

※「権田保之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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