シナリオ作家。兵庫県に生まれる。軍隊で結核にかかり、闘病中にシナリオに興味をもち、伊丹万作(いたみまんさく)に師事。伊丹の死後、その助監督佐伯清(さえききよし)(1914―2002)の紹介で黒澤明を知り、芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の『藪(やぶ)の中』をもとに『羅生門』を執筆、1950年(昭和25)黒澤によって映画化され、ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞した。以後『生きる』(1952)、『七人の侍』(1954)など黒澤作品の共同執筆者となる。1956年『真昼の暗黒』で社会派として注目され、1958年には『張込み』『夜の鼓』、テレビドラマ『私は貝になりたい』(翌1959年自ら監督で映画化)を執筆、その後も『切腹』(1962)、『白い巨塔』(1966)、『砂の器』(1974)、『八甲田山』(1977)など重厚な脚本を提示した。2000年(平成12)3月、兵庫県神崎(かんざき)郡市川町の市川町文化センターに橋本忍記念館が開館した。
[千葉伸夫 2018年8月21日]
『橋本忍著『私は貝になりたい』(1959・現代社)』▽『橋本忍著『悪の紋章』(1967・講談社)』▽『橋本忍著『独裁者のラブレター』(1969・講談社)』▽『橋本忍著『シナリオ人間革命』(1973・潮出版社)』▽『橋本忍著『映画「八甲田山」の世界』(1977・映人社)』▽『橋本忍著『幻の湖』(1980・集英社)』▽『橋本忍・シナリオ作家協会著『橋本忍人とシナリオ』(1994・シナリオ作家協会)』▽『橋本忍著『戦国鉄砲商人伝』(集英社文庫)』
…ここまでがいわば導入部で,その後約2/3は主人公の通夜のシーンとなり,市役所の同僚たちを中心とした周辺の人々の回想(それも《羅生門》(1950)のようにきわめて主観的な回想)を重ねることによって,あらためて主人公の生き方が浮かび上がり,甘いセンチメンタルなヒューマニズム映画と思われた前半の部分が,〈生きる〉ことの意味を命がけで追究し証明した1人の人間の気高い物語に変貌していくとともに(雪の降る児童公園で1人ブランコに乗りながら《ゴンドラの唄》を口ずさんで死んでいく主人公のイメージがしだいに画面を圧倒する),周辺の人間たちの卑小さがグロテスクに浮かび上がるという典型的な黒沢的構図と逆転劇に似た映画的構成になっている。なお,複数のライターに同一シーンを競作させるという黒沢作品独自の脚本の集団創作は,この映画(黒沢明,橋本忍,小国英雄共同脚本)から始まった。【柏倉 昌美】。…
※「橋本忍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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