デジタル大辞泉 「羅生門」の意味・読み・例文・類語
らしょう‐もん〔ラシヤウ‐〕【羅生門】
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日本映画。1950年(昭和25)公開の大映作品。芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)が『今昔物語集』に題材を得て書いた小説『藪(やぶ)の中』を橋本忍(しのぶ)が脚本化し、黒澤明が加筆して監督したものである。平安時代末期の京の荒れ果てた羅生門で、雨宿りをしている僧と木こりが、こもごも今見てきた裁判の経過を語る。それは一つの強姦(ごうかん)殺人事件をめぐる当事者と目撃者の四つの物語である。同じ一つの事件を4人がそれぞれ違う立場で述べると事実関係まで違ってくる。この映画は、いったい真実は何なのか、と観る者に探らせる手法をとる。三船敏郎(としろう)、京マチ子、森雅之(まさゆき)、志村喬(たかし)の名演と、宮川一夫(1908―1999)の黒白映像の粋(すい)を凝らした撮影を得て、黒澤明の映画的感覚がさえた傑作となった。1951年のベネチア国際映画祭に出品されて、欧米の巨匠たちの作品を抑えてグランプリを受賞したが、これはそれまで国際的にはほとんど知られていなかった日本映画の存在を、世界に知らしめた映画史上の画期的な出来事であり、以後日本映画は続々と海外に進出することとなった。
[佐藤忠男]
『『全集 黒澤明 第3巻 羅生門、白痴、生きるの頃』(1988・岩波書店)』▽『野上照代著『黒澤明 MEMORIAL10 別巻2 羅生門』(2011・小学館)』
羅生門鬼退治の説話。源頼光(よりみつ)が藤原保昌(やすまさ)と館(やかた)で酒を酌み交わしているときに、羅生門(古くは羅城門(らじょうもん))の鬼が話題に上る。鬼の出現を否定する頼光は、そこで家来の渡辺綱(わたなべのつな)に命じて羅生門に行かせる。綱が証拠の立て札を門に置いて帰ろうとすると鬼が現れる。格闘のすえ、腕を斬(き)り落とされた鬼は空に消えてしまう。羅生門の鬼の話はさらに後日談があって、『太平記』巻23によると、綱から鬼の腕を奉られた頼光のもとに、老母に化けた鬼がそれを奪いにやってくるが、逆に鬼切の剣で殺されてしまうことになる。
この説話を扱ったものに、同名の能『羅生門』をはじめ、歌舞伎(かぶき)舞踊『戻橋(もどりばし)』『茨木(いばらき)』、長唄(ながうた)『綱館(つなやかた)』などがある。
[野村純一]
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の短編小説。1915年(大正4)11月『帝国文学』に柳川隆之介の筆名で発表。のち一部改作され、『鼻』(1918刊)所収作品が定稿となっている。『今昔物語集』巻第29第18「羅城門(らせいもんにて)登上層(うはこしにのぼり)見死人(しにんをみる)盗人語(ぬすびとのものがたり)」を原典として創作されている。主人の家から暇を出された主人公は、明日の寝食にも窮して盗人になることを思いながらためらっていたが、羅生門で出会った猿のような老婆から、生きるためには悪が許されていることを教えられ、老婆の着物を奪い取って闇(やみ)のなかに姿を消していった。
歴史小説の形をとっているが、状況次第では悪をも選択するエゴイズムと、それを肯定せざるをえない人間のあり方を描いた心理ドラマの性格が強い作品である。初期の作品ながら高い完成度を示しており、近代短編小説を代表する一編である。
[海老井英次]
『『羅生門・偸盗・地獄変・往生絵巻』(講談社文庫)』
能の曲目。五番目物。五流現行曲。観世信光(かんぜのぶみつ)作。春雨の夜、源頼光(よりみつ)(ワキツレ)の館(やかた)では酒宴が開かれている。羅生門に鬼が出るという噂(うわさ)の実否について、平井保昌(やすまさ)(ワキツレ)と渡辺綱(わたなべのつな)(ワキ)は激しく論争する。豪雨の中に実地検証に向かった渡辺綱(後ワキ)の兜(かぶと)を鬼神(シテ)がつかむが、渡辺綱は鬼神の腕を斬(き)り、鬼神は空に逃れ去る。シテが後半だけに登場し、しかも謡(うたい)がまったくないという異色の能であるが、前後の緊迫した対話、後段の闘争の対比が優れている。ワキ方で重く扱われ、上演はまれである。
[増田正造]
1950年製作の日本映画。黒沢明監督作品。芥川竜之介の短編小説《藪の中》を基に,《羅生門》からのエピソードも加えて,橋本忍と黒沢が共同で脚本を書いた。平安の乱世の時代,都に近い山科のやぶのなかで起きた殺人をめぐる関係者と目撃者それぞれのくいちがう告白を,それぞれの視点で描き,それをオムニバス映画のように構成するという類のないユニークなスタイルで見せて,〈事実〉というものの多面性を浮き上がらせた。
日本では公開当時〈傑作〉とは評価されなかったが,《無防備都市》(1945)や《自転車泥棒》(1949)を日本に輸入したイタリ・フィルム社の代表ジュリアナ・ストラミジョリ女史のすすめで,ジャン・コクトーが審査委員長をつとめた51年度ベニス国際映画祭に出品されてグラン・プリを受賞,次いでアメリカでアカデミー最優秀外国語映画賞を受賞して,国際的な注目を浴びた。〈セルロイドにしるされた視覚と音〉〈光と影のシンフォニー〉と評価されたこの映画が〈世界のクロサワ〉の出発となり,外国における日本ブームの端緒ともなった。マーティン・リット監督のアメリカ映画《暴行》(1964)は《羅生門》を西部劇としてリメークしたものである。
執筆者:柏倉 昌美
能の曲名。五番目物。鬼物。観世信光作。シテは羅生門の鬼神。春雨の続くころ,源頼光(ワキヅレ)の館では,渡辺綱(ワキ),平井保昌(ワキヅレ)をはじめ家来一同が集まって酒宴を催していた。その席上で,羅生門に鬼が出るといううわさが話題になり,実否について綱と保昌の言い争いになる。綱は自分で確かめてくると言いきって,席を立って羅生門に向かう。激しい雨の中を羅生門に近づくと,乗っていた馬がおびえだすので,綱は馬を乗り捨てて羅生門の石壇上に上がり,証拠の札を立てて帰ろうとすると,鬼神(シテ)が現れて綱の兜(かぶと)をつかんだ。綱は兜の緒を引きちぎり,太刀を抜いて鬼神と格闘し,その腕を切り落としたので,鬼神は空遠く逃げ去った(〈舞働キ・ノリ地〉)。この曲は古武士かたぎを描いた鬼退治物で,ワキ方中心の能である。シテである鬼神の役は一言も発しない。長唄舞踊《茨木》などの原拠。
執筆者:横道 万里雄
芥川竜之介の短編小説。1915年11月《帝国文学》に掲載。芥川の真の作家的出発を告げる初期の傑作である。平安末期の荒れ果てた羅生門の楼上,職を失った下人は死人の髪を抜きとっている老婆を取り押さえるが,生きるためにはこうするほかはないという老婆の言葉を聞くや,その着物を剝ぎとって闇の中へ消えてゆく。材を《今昔物語集》に取り,下人の心理の推移をみごとに描きとってみせたこの作品の主題をエゴイズムの剔抉に見るか,老婆の語る倫理を超えたニヒリズムに見るか,あるいは下人の示す善への勇気と悪への勇気をともに持った人間存在の矛盾そのものの凝視に見るか,その主題は幾様にも読みとれるが,いずれにせよ人間をつねに複眼的にとらえ,人生の一局面をあざやかに切断して作品化せんとする短編作家芥川のまぎれもない誕生をここに読みとることができよう。
執筆者:佐藤 泰正
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…次にその例を挙げるが,この中には,作者について多少の疑問を残しているものや,後に改作されて現在に伝えられていることの明らかなものも含めてある。 (1)観阿弥 《松風》《通小町(かよいこまち)》《卒都婆小町(そとばこまち)》《自然居士(じねんこじ)》,(2)世阿弥 《老松(おいまつ)》《高砂(たかさご)》《弓八幡(ゆみやわた)》《敦盛》《忠度》《清経》《頼政》《実盛》《井筒》《檜垣(ひがき)》《西行桜》《融(とおる)》《鵺(ぬえ)》《恋重荷(こいのおもに)》《砧(きぬた)》《班女(はんじよ)》《花筐(はながたみ)》,(3)観世元雅 《隅田川》《歌占(うたうら)》《弱法師(よろぼし)》《盛久》,(4)金春禅竹 《芭蕉》《定家(ていか)》《玉葛(たまかずら)》《雨月(うげつ)》,(5)宮増(みやます) 《鞍馬天狗》《夜討曾我》,(6)観世信光 《遊行柳(ゆぎようやなぎ)》,《鐘巻(かねまき)》(《道成寺》の原作),《紅葉狩》《船弁慶》《羅生門》《安宅(あたか)》,(7)金春禅鳳 《嵐山(あらしやま)》《一角仙人》,(8)観世長俊 《大社(おおやしろ)》《正尊(しようぞん)》。
【曲籍】
一日の公演に演ずる能の数は,南北朝時代までは4~5演目にすぎなかったが,その後増加の道をたどり,室町時代中期から桃山時代にかけては7番から12番ぐらいの例が多く,一日17番という例さえ見られる。…
…夢幻能(むげんのう)の作劇法では冒頭にワキが登場して,時,所,劇的シチュエーションを設定することから話が始まる例が多く,シテ登場後は,シテの演技の引出し役に徹する。一方,現在能ではシテと互角に対立する役も多く,また《羅生門》などのようにワキが一曲の主役である例もあるが,まれに《小袖曾我》《橋弁慶》などワキの登場しない演目もある。なお,映画,演劇などにおける脇役(バイプレーヤー)とはかならずしも同義語ではない。…
…同話は《太平記》巻二十三にもみえ,綱が鬼の腕を切る場所が大和国宇陀郡の大森となっている。能の《大江山》,御伽草子《酒呑(しゆてん)童子》には綱が頼光に従って大江山の酒呑童子を退治する話があり,能の《羅生門》には,綱が羅生門で鬼の腕を切る話がある。御伽草子《羅生門》では綱が鬼と最初に出会うのが羅生門,腕を切るのが一条戻橋となっており,物忌中に鬼に腕を奪い返されるのが頼光で,尋ねて来る女性が河内国高安郡の頼光の母と変化している。…
…主として山本嘉次郎(エノケン喜劇や高峰秀子主演の《綴方教室》1938,《馬》1941)の助監督につき,1943年《姿三四郎》で監督になる。独特の精神主義とリアリズムに徹した映画的技術を2本の柱にして,敗戦後の日本の精神的・物質的状況をダイナミックに分析し(《わが青春に悔なし》1946,《素晴らしき日曜日》1947,《酔いどれ天使》1948,《野良犬》1949),《羅生門》(1950)では,芥川竜之介の《藪の中》に基づく独創的な構成と映像で,世界の映画界を驚嘆させた(ベネチア映画祭グラン・プリ,アカデミー外国語映画賞受賞)。以後,世界文学の映像化(ドストエフスキーの《白痴》1951,シェークスピアの《マクベス》の映画化《蜘蛛巣城》1957,ゴーリキーの《どん底》1957),〈黒沢ヒューマニズム〉の名で呼ばれる人間探求(《生きる》1952),アメリカの西部劇や冒険活劇のスケールを日本の時代劇にとり入れたアクションドラマ(《七人の侍》1954,《隠し砦の三悪人》1958),さらに,その暴力描写のリアリズムによって日本のチャンバラ時代劇の歴史を変えるだけでなく,〈マカロニウェスタン〉と呼ばれるイタリア製西部劇を生み出すきっかけとなって西部劇の歴史をも変えることになる〈黒沢時代劇〉(《用心棒》1961,《椿三十郎》1962)等々,意欲的な試みを行って数々の傑作を生んだ。…
…嵐寛寿郎の《右門捕物帖》《鞍馬天狗》,長谷川一夫の《銭形平次》,片岡千恵蔵の《遠山金四郎》,市川右太衛門の《旗本退屈男》など,その後の人気シリーズが始まったのも,占領下の1949‐50年である。この間,黒沢明監督,三船敏郎主演《羅生門》(1950)がベネチア映画祭でグラン・プリを受賞した。かくして占領終結の52年には,萩原遼監督《赤穂城》が戦後初の〈忠臣蔵〉としてつくられるなど,時代劇は本格的に蘇生(そせい)し,54年には時代劇の製作本数が飛躍的に増大して,以後数年,未曾有の時代劇ブームとなっていく。…
…第2次大戦後は,清瀬保二,松平頼則らと〈新作曲派協会〉を結成し,民族主義的な交響組曲《ユーカラ》(1955)で注目された。《羅生門》(1950),《雨月物語》(1953)など映画音楽にも大きな功績を残し,また〈汎東洋主義〉の思想と様式は,武満徹らの新しい世代の作曲家に影響を与えた。主著《日本的音楽論》(1942)。…
※「羅生門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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