檜山安東氏城館跡(読み)ひやまあんどうしじようかんあと

日本歴史地名大系 「檜山安東氏城館跡」の解説

檜山安東氏城館跡
ひやまあんどうしじようかんあと

[現在地名]能代市檜山

檜山町の東南にある山城檜山城霧山きりやま城ともいう。国史跡。町の東端から急峻な坂を約五〇〇メートル上ると城館跡に至る。中世に安東氏の居城であったが、一国一城令によって元和六年(一六二〇)破却された。現在は公園風に整地されている。檜山町を包むように馬蹄形に連なる山が檜山城の全容といわれ、馬蹄形に包まれた部分はいずれも急峻な谷になっている。城郭の跡はさほどの広さはないが、周辺の平地に侍屋敷跡があり、古井戸なども発見されている。城郭跡から北東眺望は優れ、大館おおだて台地を含めて、米代川から対岸東雲しののめ台地まで一望できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「檜山安東氏城館跡」の解説

ひやまあんどうしじょうかんあと【檜山安東氏城館跡】


秋田県能代市檜山にある城館跡。指定名称は「檜山安東氏城館跡 檜山城跡(ひやまじょうあと) 大館跡(おおだてあと) 茶臼館跡(ちゃうすだてあと)」。檜山城は檜山安東氏の本城で、室町時代から江戸時代初期にかけて使用された山城跡。もともと、鎌倉時代に津軽十三湊(とさみなと)に栄えた安東氏は、嘉吉年間(1441~43年)、盛季(もりすえ)の代で南部氏に追われて蝦夷地(えぞち)に逃れた。1456年(康正2)、政季の代に再び南下し、出羽檜山一帯を領し、檜山安東氏と称されている。檜山城は、政季の代に築城が開始され、1495年(明応4)、子の忠季の代で完成した。その後、湊安東氏を併合して秋田氏を名のり、檜山城は1598年(慶長3)まで拠点となった。北に安東氏菩提寺の国清寺跡もある。城の北西には、支城的役割を果たした大館跡、西には茶臼館跡がある。とくに大館跡からは、10~11世紀の多数の住居跡とともに、土師器(はじき)、墨書土器、鞴(ふいご)羽口、洪武通宝などが出土している。1980年(昭和55)、檜山城跡、国清寺跡、大館跡、茶臼館跡が一括して国指定史跡となった。檜山城跡へは、JR奥羽本線ほか東能代駅から車で約17分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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