日本歴史地名大系 「正受庵」の解説
正受庵
しようじゆあん
臨済宗小畝山正受庵。飯山城下町西南段丘東端にある。寛文六年(一六六六)飯山城主松平忠倶の開基、開山は道鏡恵端、延宝四年(一六七六)より住庵(飯山町誌)。天和二年(一六八二)の寺社領并由緒書(西敬寺蔵)に「武州江戸東北寺末上倉正受庵」は「依為新地未許院号、至今寮庵也」と記し、江戸麻生東北寺洞天から飯山奉行所へあてた「恵端首座愚僧弟子紛無之候、已来宗旨之儀異論於在之者拙僧江可被仰聞候」との証文を載せる。
恵端は洞天の弟子であるが、父は松代藩主真田某、母は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報