白隠慧鶴(読み)ハクインエカク

デジタル大辞泉 「白隠慧鶴」の意味・読み・例文・類語

はくいん‐えかく〔‐ヱカク〕【白隠慧鶴】

[1686~1769]江戸中期の僧。臨済宗中興の祖。駿河の人。号、鵠林。勅諡号ちょくしごう、神機独妙禅師・正宗国師。信濃飯山正受庵の道鏡慧端の法をぎ、故郷の松陰寺に住持した。京都妙心寺の第一座ともなったが、のち、諸国を遊歴し、禅の民衆化・革新遂行。詩文・禅画もよくした。著「夜船閑話」「遠羅天釜おらてがま」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白隠慧鶴」の解説

白隠慧鶴 はくいん-えかく

1686*-1769* 江戸時代中期の僧。
貞享(じょうきょう)2年12月25日生まれ。臨済(りんざい)宗。15歳で郷里駿河(するが)(静岡県)の松蔭寺得度。信濃(しなの)飯山の道鏡慧端(どうきょう-えたん)(正受(しょうじゅ)老人)の法をつぐ。のち松蔭寺にもどり,享保(きょうほう)3年京都の妙心寺首座。禅の民衆化につくし,書画でも知られた。明和5年12月11日死去。84歳。諡号(しごう)は正宗(しょうじゅう)国師。別号に鵠林(こうりん)。著作に「遠羅天釜(おらてがま)」「夜船閑話」など。
格言など】養生大名が国を守るようなものである(「夜船閑話」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「白隠慧鶴」の解説

白隠慧鶴
はくいんえかく

1685〜1768
江戸中期の臨済宗の僧。臨済宗中興の祖
駿河(静岡県)の人。15歳のとき出家し,以来修行に励んだ。生涯百姓・町人の中にあり,平易な禅を説き広めた。京都の妙心寺第一座。著書に『槐安国語 (かいあんこくご) 』など。

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367日誕生日大事典 「白隠慧鶴」の解説

白隠慧鶴 (はくいんえかく)

生年月日:1685年12月25日
江戸時代中期の僧
1769年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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