武田八幡宮(読み)たけだはちまんぐう

日本歴史地名大系 「武田八幡宮」の解説

武田八幡宮
たけだはちまんぐう

[現在地名]韮崎市神山町北宮地

神山町北宮地かみやままちきたみやじ集落の西部にある。誉田別命(中殿)・足仲津彦命(左殿)・息長足姫命(右殿)・武田武大神(相殿)の四柱を祀り、旧県社。社伝によれば弘仁一三年(八二二)勅命によって豊前宇佐宮(一説に山城石清水八幡宮ともいう)の分霊を当地に勧請し、地名を冠して武田八幡宮と称したのが草創という(社記)。一方、「甲斐国志」は当社別当寺である加賀美かがみ法善ほうぜん(現若草町)の記録をひき、弘仁一三年弘法大師が関左遊化の折、夢に八幡大菩薩が武田郷の山下に姿を現したのをみて、神祠を構えたのが草創と記すが、詳細は不明。なお同書では日本武尊の子武田王がさくらノ御所と呼称されるところに御殿を構えたことが武田の地名の由来といい、その墓所がわに塚と伝える。また武田武大神は武田王が当社北東に鎮座していた祠廟を館内に移し、これを祀ったことに始まるという。清和天皇の時代には奉幣と社領の寄進がなされ、その後武田信義が桜ノ御所続きの広庭というところに居城(白山城)を構えて当社を氏神として尊崇し、社頭の再建などを行ったという(社記)。また歴代甲斐国司も尊崇し、造営を行ったと伝えるが、武田晴信(信玄)が父武田信虎を追放した天文一〇年(一五四一)一二月二三日に大檀主として嫡子義信とともに再建を行ったのが現在確認できる比較的早い造営記録である(社蔵棟札)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「武田八幡宮」の解説

武田八幡宮

山梨県韮崎市にある神社祭神は誉田別命(ほんたわけのみこと)、足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、武田武大神(たけだたけのおおがみ)。武田信玄が再建した本殿は国の重要文化財指定

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