日本大百科全書(ニッポニカ) 「平岩親吉」の意味・わかりやすい解説
平岩親吉
ひらいわちかよし
(1542―1611)
安土桃山・江戸前期の武将。通称七之助、主計頭(かずえのかみ)。徳川家康と同年の生まれで、幼少より徳川家康に仕え、各地を転戦。家康の長男信康(のぶやす)の傅役(もりやく)となったが、1579年(天正7)信康切腹により一時幽居。1590年上野国(こうずけのくに)厩橋(うまやばし)城主となり、3万3000石を領有した。家康八男仙千代を養子とするが、夭折(ようせつ)。関ヶ原の戦後に甲府城代(領知6万3000石)。家康の九男義直(よしなお)の傅役となり、義直の甲府から清洲(きよす)への転封(てんぽう)で犬山城主(12万3000石、一説に9万3000石)となり、引き続き領国統治。無嗣断絶。
[下村信博]
『犬山市教育委員会・犬山市史編さん委員会編『犬山市史』通史編上(1997・犬山市)』▽『北島正元著『江戸幕府の権力構造』(1964・岩波書店)』