語を構成する音声において,母音の間に働く調音的統制。一つの語を表す音声部分にあって,ある系列の母音のみが用いられる現象でウラル語族やアルタイ諸語などに見うけられる。母音調和には,(1)同一母音を用いる完全調和と,(2)同一特徴の母音を用いる部分調和とがある。
(1)完全調和の例として,フィンランド語の入格語尾〈…の中へ〉がある。talo-on〈家の中へ〉,muna-an〈卵の中へ〉,tyttö-ön〈少女の中へ〉のように,語幹末の母音を繰り返してから-nをつける。(2)部分調和としてフィンランド語では舌の前後の位置が調和の規準特徴となる。このため母音は,(a)前舌群/y,ö[φ],ä[a]/と,(b)後舌群/u,o,a[ɑ]/に分かれ,両群は同一の単語内で共起することが許されない。したがって,語尾も前舌母音用のものと後舌母音用のものに分かれている。例:talo-ssa〈家の中に〉では後舌群,kylä-ssä〈村の中に〉では前舌群の母音のみが現れる。前者には後舌用の-ssa,後者には前舌用の-ssäの内格語尾〈…の中に〉が付加されている。なお前述の母音のほかに,(c)中立群/i ,e/がある。これらは本質的には前舌群であるが,後舌群とも結合することができる。tietä-ä〈知る〉という動詞には,前舌用の第1不定詞語尾-äがついているが,この語から派生した名詞形tieto〈知識〉には後舌母音oが用いられている。
ハンガリー語(方言)でも母音は同じく,(a)前舌群/ü[y],ö[φ],ɛ/と,(b)後舌群/u,o,a[]/,それに(c)中立群/i,e/の3グループに分かれている。例:後舌母音のみ tanuló〈生徒〉,前舌母音のみ tükör〈かがみ〉,中立母音と後舌母音から ceruza〈鉛筆〉,中立母音と前舌母音から rövid〈短い〉。そして内格語尾〈…の中に〉では,前舌用が-be,後舌用が-baである。例:ajtó-ba〈ドアの中に〉,tükör-be〈かがみの中に〉。しかし向格語尾〈…の方へ〉では,asztal-hez〈テーブルの方へ〉,ajtó-hoz〈ドアの方へ〉,tükör-höz〈かがみの方へ〉と,非円唇用-hez,円唇後舌用-hoz,円唇前舌用-hözと3種類が用意されていて,ここに非円唇と円唇という円唇性の規準が母音調和に加わっている。
アルタイ系のトルコ語の母音では,前舌性と円唇性の規準特徴が厳しく守られている。トルコ語は前舌非円唇/i,e/,前舌円唇/ö,ü/,後舌非円唇/ı[],a/,後舌円唇/o,u/の8母音をもっている。このため属格語尾には,前舌非円唇用-in,前舌円唇用-ün,後舌非円唇用-ın,後舌円唇用-unの4種類がある。例:ev-in〈家の〉,göz-ün〈目の〉,kitab-ın〈本の〉,kol-un〈腕の〉。ただし,位置格語尾〈…に〉は前舌用-deと後舌用-daの2種類のみで前舌性の特徴だけが作用している。例:ev-de〈家の中に〉,göz-de〈目の中に〉,kitap-ta〈本の中に〉,kol-da〈腕の中に〉となる。
ベーリング海峡の近くで話されている旧アジア諸語の一つチュクチ語では,母音が弱音(高母音)/i,u,e/と強音(低母音)/e,o,a/に分かれ,これに/ə/が加わっている。語幹にしろ接辞にしろ1語の中に強母音が現れれば他の母音も強に統一される。たとえば具格〈…で〉の場合,qora-ta〈トナカイで〉(強),milute-te〈うさぎで〉(弱)のように語幹の母音が具格語尾の母音を指定している。だが奪格形では,melota-jpə〈うさぎから〉のように奪格語尾-jpəの母音/ə/が語幹母音を強に変える。
中期朝鮮語においても母音調和の支配が認められる。sarm-r〈人を〉,gəbub-r〈亀を〉のように陽の母音/a,o,/と陰の母音/ə,u,/の区別があり,対格語尾に陽の語尾-rと陰の語尾-rの2種が語幹の母音によって使い分けされている。
古代日本語でも〈オ〉に甲類の/o/と乙類の/ö/の別があって,乙類の/ö/は/mötö/〈本〉のように甲類の/o/とは結合しないので,母音調和の痕跡ではないかと考えられている。要するに,母音調和は順行同化の一種とみなされるが,そこでは語幹内の母音がその後に同じ系列の母音を指定する働きをもっている。
執筆者:小泉 保
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母音配列に関する制限のこと。言語によっては、母音の系列(広狭、前後、円平)が対立していて、語を構成するうえでの制約となって現れることがある。この現象を母音調和という。人の言語に用いられる音は、子音と母音に分けられる。母音は口腔(こうこう)の共鳴室の広さ、口蓋(こうがい)と舌との間の狭めの位置、唇の丸め方などによって、その音色を変える。アのような口の開きの大きいものを広母音(ひろぼいん)、イのような口の開きの小さいものを狭母音(せまぼいん)とよび、イのような狭めの位置が口の前のほうに寄っているものを前母音(まえぼいん)、英語のウのような狭めの位置が口の後ろのほうに寄っているものを後母音(あとぼいん)とよび、英語のウのような唇の丸めを伴うものを円母音(まるぼいん)、伴わないものを平母音(ひらぼいん)とよぶ。
たとえば、トルコ語には母音が八つあるが、前母音のi,ü[y],ö[œ],eは、後母音の[ɯ],u,o,aと一語のなかで共存しないのが原則であり(外来語を除く)、語尾や接尾辞が続く場合にもこうした制限下に置かれる。köpek(キョペキ)「イヌ」という語は前母音のみからなり、その複数形はköpek-ler(キョペキレル)となるが、maymun(マイムン)「サル」という語は後母音のみからなり、その複数形はmaymunlar(マイムンラル)となる。さらにkoyun-u(コユヌ)「ヒツジ・を」対kedi-yi(ケディイ)「ネコ・を」などでは、円母音と平母音の対立が加わる。母音調和はトルコ系諸言語、モンゴル諸語、ツングース諸語などに広く認められるが、古代日本語にも似たような現象が認められている。
[竹内和夫]
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…いわゆる〈オイロート語〉もこの後者に属する。 チュルク語では,他のアルタイ諸語よりも一般に厳格な母音調和が行われている。トルコ共和国語(トルコ語)を例にすると,八つの母音音素が/a,o,ı,u/と/e,ö,i,ü/の二つの群に分かれ,それぞれに属する母音音素が互いに同一の文節内で共起することがない。…
…赫哲語はナナイ語のこと,満語は満州語のこと,錫伯語はシベ族の話す満州語である。
[特徴]
ツングース諸語の単語内における母音(音素)のあらわれ方には母音調和とよばれる制限があり,いわゆる男性母音(たとえばa,o)と女性母音(たとえばə)が通常同一の語の中に共存しない。ツングース各言語は母音の調音的・音響的性質も母音の数も互いに異なるので,母音調和も細かい点は各言語により異なる。…
…チュルク諸語のなかで目だつ言語的特徴は次のとおりである。(1)母音調和が厳密で,整然としている。例:inek〈雌牛〉,inekler〈雌牛ども〉,ineğim〈私の雌牛〉,ineklerden〈雌牛どもから〉;koyun〈羊〉,koyunlar〈羊ども〉,koyunum〈私の羊〉,koyunlardan〈羊どもから〉。…
※「母音調和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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