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永瀬七郎右衛門(初代) ながせ しちろうえもん

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

永瀬七郎右衛門(初代) ながせ-しちろうえもん

?-1656 江戸時代前期の商人。
父と同様に大坂城出入りの材木御用を命じられる。大坂の陣に際し徳川方について活躍。寛永4年大坂三郷の北組惣年寄となり糸割符(わっぷ)年寄をかねた。西横堀を開削し,その一帯は七郎右衛門町と称された。明暦2年2月9日死去。名は直寿(金)。屋号は木屋。

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朝日日本歴史人物事典の解説

永瀬七郎右衛門(初代)

没年:明暦2(1656)
生年:生年不詳
江戸時代大坂商人。屋号は木屋。業祖はもと肥後国の浪人であったが,天正年間(1573~92)に大坂に移住し,材木商を営み,大坂城出入りの町人として市中開発に協力。七郎右衛門(初代)はその子で木屋を号す。大坂の陣のさい徳川方にくみし,徳川秀忠にお目見えの栄を得た。大坂が天領として大坂町奉行支配下に組み入れられると,寛永4(1627)年大坂三郷の北組惣年寄に任ぜられた。 その後代々町政に当たり,同時に糸割符年寄として糸割符商人を取り締まり,長崎に下って白糸輸入事務にも関与した。木屋は町開発にも貢献し,その開削した堀川は七郎右衛門堀と称されたが,東横堀開削後は西横堀と改称された。西横堀一帯はその開発の功により七郎右衛門町と称された。享保6(1721)年から木屋を永瀬と改めた。大坂の代表的初期門閥町人のひとつである。<参考文献>「三郷惣年寄家筋書」(『大阪市史』第5),宮本又次『大阪商人』

(宮本又郎)

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