永田広志(読み)ながたひろし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「永田広志」の意味・わかりやすい解説

永田広志
ながたひろし
(1904―1947)

哲学者長野県に生まれる。1923年(大正12)東京外国語学校(現、東京外国語大学)ロシア語科を卒業。1929年(昭和4)からプロレタリア科学研究所のメンバーとなり、以後、戦闘的無神論者同盟、唯物論研究会などで活躍した。1939年治安維持法違反で起訴されたが、病気のため刑の執行を免れた。第二次世界大戦後は民主主義科学者協会(1946)の創立者の一人となった。初めロシア語の哲学文献の翻訳に従事していたが、1932年ごろから著作活動を開始し、『唯物弁証法講話』(1933)、『唯物史観講話』(1935)、『現代唯物論』(1935)、『日本唯物論史』(1936)、『日本封建制イデオロギー』(1938)、『日本哲学思想史』(1938)などを次々に公刊した。これらは、マルクス主義の理論的研究と日本近世思想史の研究とに大別される。とりわけ後者は、日本の近世儒教を思想史として研究した先駆的業績として高く評価された。

[渡辺和靖 2016年9月16日]

『『永田広志日本思想史研究』全3巻(1967~1969・法政大学出版局)』

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20世紀日本人名事典 「永田広志」の解説

永田 広志
ナガタ ヒロシ

昭和期の哲学者,唯物論者



生年
明治37(1904)年4月1日

没年
昭和22(1947)年9月7日

出生地
長野県

別名
筆名=君島 慎一

学歴〔年〕
東京外国語学校露文科〔大正13年〕卒

経歴
外語卒業後から文筆活動に入り、ソ連のマルクス主義哲学論争などを翻訳、紹介。昭和4年プロレタリア科学研究所の哲学部に所属。6年反宗教闘争同盟、戦闘的無神論者同盟にも参加、7年戸坂潤らと唯物論研究会を創立、弁証法研究会責任者として、弁証法の諸問題や日本思想史を唯物史観の見地から解明した。13年戸坂らと共に治安維持法違反で検挙されたが、病気のため入獄せず敗戦となった。戦後もわが国の民主主義発展のための評論を続けた。著書に「日本唯物論史」「現代唯物論」「永田広志選集」(全7巻)、「永田広志日本思想史研究」(全4巻)、「日本封建制イデオロギー」「日本哲学思想史」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永田広志」の意味・わかりやすい解説

永田広志
ながたひろし

[生]1904. 長野
[没]1947. 松本
唯物論哲学者。東京外国語専門学校露語科卒業。プロレタリア科学研究所,戦闘的無神論者同盟,唯物論研究会などに参加するかたわら,ソ連の哲学を紹介。マルクス主義の方法で日本思想史を分析し,マルクス主義哲学の日本への定着に貢献した。 1939年治安維持法違反で起訴されたが,病気で刑を免れた。主著『唯物弁証法講話』 (1933) ,『日本封建制イデオロギー』 (35) ,『唯物史観講話』 (36) ,『日本唯物論史』 (36) ,『日本哲学史』 (37) など。『永田広志選集』 (7巻) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永田広志」の解説

永田広志 ながた-ひろし

1904-1947 昭和時代の哲学者。
明治37年4月1日生まれ。プロレタリア科学研究所,唯物論研究会にくわわり,マルクス主義哲学論文等の翻訳,日本近世思想史の研究・体系化をおこなった。戦後,民主主義科学者協会の創立にくわわる。昭和22年9月7日死去。44歳。長野県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。筆名は君島慎一。著作に「日本唯物論史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「永田広志」の解説

永田 広志 (ながた ひろし)

生年月日:1904年4月1日
昭和時代の哲学者;唯物論者
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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