池島信平(読み)イケジマ シンペイ

20世紀日本人名事典 「池島信平」の解説

池島 信平
イケジマ シンペイ

昭和期の雑誌編集者,出版人,歴史家 文芸春秋社長



生年
明治42(1909)年12月22日

没年
昭和48(1973)年2月13日

出生地
東京市本郷区春木町(現・東京都文京区)

学歴〔年〕
東京帝大西洋史学科〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
放送文化賞(昭46年度)

経歴
昭和8年文芸春秋社入社菊池寛薫陶を受け、「話」「オール読物」「現地報告」などの編集を手がける。18年満州文芸春秋社へ編集部長として出向、19年帰国、「文芸春秋」編集長となる。21年文芸春秋新社の設立に参加、取締役編集局長。「文芸春秋」編集長として、人間臭い雑誌づくりに卓抜した腕を示し、国民雑誌の域に高めた。36年専務、41年同社社長に就任。バランスのとれた常識人として活躍。著書に「編集者の発言」「ジャーナリズムの窓から」「歴史よもやま話」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「池島信平」の意味・わかりやすい解説

池島信平 (いけじましんぺい)
生没年:1909-73(明治42-昭和48)

編集者。東京に生まれる。1933年東京帝国大学西洋史学科を卒業,最初の公募社員として文芸春秋社に入社。《話》《文芸春秋》などの編集に携わる。敗戦後,菊池寛の手を離れた同社の再建尽力佐佐木茂索を社長に推し自らは編集長として活躍。ルポルタージュ,人物論,戦記ものなどを中心とするいわゆる文春スタイルの雑誌をつくり上げ,その読者層を飛躍的に拡大させた。66年から没年まで社長をつとめた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池島信平」の解説

池島信平 いけじま-しんぺい

1909-1973 昭和時代の編集者。
明治42年12月22日生まれ。昭和8年文芸春秋社にはいり,「話」の編集に従事,15年「現地報告」の編集長。21年文芸春秋新社の創立に参加し「文芸春秋」編集長となり,ノンフィクションを活用して部数をのばした。41年社長。昭和48年2月13日死去。63歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「編集者の発言」「歴史好き」など。
【格言など】人間こそ汲めどもつきざる宝庫

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「池島信平」の解説

池島 信平 (いけじま しんぺい)

生年月日:1909年12月22日
昭和時代の雑誌編集者;ジャーナリスト。文芸春秋社社長
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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