沖縄返還協定(読み)おきなわへんかんきょうてい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沖縄返還協定」の意味・わかりやすい解説

沖縄返還協定
おきなわへんかんきょうてい

正式には「琉球諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」 Agreement between Japan and the United States of America Concerning the Ryukyu Islands and the Daito Islandsといい,1971年6月 17日,宇宙中継を通じて東京とワシントン D.C.で署名された。協定本文のほか,「合意議事録」「VOAに関する交換公文」「海没地に関する交換公文」「施設区域に関する了解覚書」「民間航空に関する了解覚書」「在琉球外資の取扱いに関する愛知外相書簡」の6つの関連文書が付属している。協定は前文および9ヵ条から成るが,前文では佐藤=ニクソン共同声明を基礎に沖縄返還されることを再確認している。本文および付属文書では,(1) 返還後の沖縄には安保条約を含む日米間の条約,協定を適用すること,(2) 返還と同時に現在の米軍基地の大部分を施設,区域として再び提供すること,(3) 沖縄県民の対米請求権を原則的に放棄すること,(4) アメリカ資産の引継ぎなどの代償として日本側が3億 2000万ドルを支払うこと,(5) 裁判効力を原則的に引継ぐこと,(6) VOA放送 (→ボイス・オブ・アメリカ ) を返還後も暫定的に存続させること,などが取決められた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「沖縄返還協定」の解説

沖縄返還協定
おきなわへんかんきょうてい

第二次世界大戦後,アメリカの施政下にあった沖縄を,日本に返還するという日米協定
正式には「琉球諸島および大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」という。1945年第二次世界大戦の終結以来,沖縄は日本本土から分離され,アメリカの単独占領下に置かれた。サンフランシスコ平和条約の後も,沖縄はアメリカの施政権が及ぶこととされた。その後,'69年の佐藤・ニクソン両首脳による日米共同声明によって,アメリカ軍の基地維持の重要性と,'72年中の沖縄返還が明らかにされた。こうして,'71年6月17日に沖縄返還協定が調印され,'72年5月15日に沖縄が日本に返還された。協定では,琉球諸島と大東諸島の施政権がアメリカから日本に返還されることを規定するとともに,安保条約をはじめ日米間条約は沖縄にも適用されるものとし,米軍基地の維持について周到な規定が設けられた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「沖縄返還協定」の解説

沖縄返還協定
おきなわへんかんきょうてい

1971年(昭和46)6月,日米間で調印された沖縄の施政権返還に関する協定。対日平和条約第3条によって沖縄はアメリカの施政権下におかれ,祖国復帰運動の高まりを背景に,60年代後半から日米政府間で返還交渉が重ねられた。返還協定の調印により72年5月の返還が確定したが,米軍基地の存続を認める協定の内容に沖縄県民は不満を表明し,全国的に反対闘争が展開された。

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