江戸初期の数学者。生没年不詳。通称三郎左衛門,号は宗隠。京都に住み,数学を教える。中国の《算学啓蒙》にある天元術を初めて理解したといわれる橋本伝兵衛正数の弟子である。沢口は,天元術を多くの人に理解させるため,当時の数学を集大成した《古今算法記》(1671)の中に解説した。天元術は本書により広まった。沢口は,当時一般に使われていた弓形の面積を求める公式が近似公式であることを示し,その理由から,《算法根源記》の遺題のうち弓形の面積公式を使う問題には解答を示さなかった。円弧についての理論を〈円理〉と称したのは本書が最初である。二次以上の方程式には解が二つ以上あることを示したのも本書が最初である。《改算記》と《算法根源記》の遺題に解答を与え,巻末に15問の遺題を示した。関孝和はこの15問の解を《発微算法》と題して発表したが,これが和算の高等数学へ進む第一歩であった。
執筆者:下平 和夫
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(佐藤賢一)
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生没年不詳。江戸初期の数学者。通称は三郎左衛門。号は宗隠。京都に住んだ。橋本正数の弟子。『荒木村英茶談(そんえいさだん)』(関孝和(せきたかかず)の弟子荒木村英の談話集)に「沢口は関孝和の弟子」とあるが、おそらく誤りであろう。1671年(寛文11)『古今算法記』を著す。これは佐藤正興の『算法根源記』にある150題の問題に答えたもので、天元術を用いている。天元術を応用して問題を解くことはこれから始まる。その巻末には新しく15題の問題がついているが、それを解いたのが関孝和の『発微算法』である。
[大矢真一]
…幕末になると曲線,曲面に関する計算,あるいは重心を求める問題,さらにそれらを計算するときに必要な定積分表や微分法までもが円理と呼ばれるようになった。円理という用語を初めて用いたのは沢口一之で,その著《古今算法記》(1671)の中で,〈方理はえやすく,円理は明らかにしがたし〉といって,円理という用語を示している。すなわち,線分で囲まれた図形についての求長,求積はそれほどむずかしくはないが,円や円弧で囲まれた図形の求積はむずかしいというのである。…
…とくに研究は関西の数学者から始まった。橋本正数の弟子の沢口一之は,その著《古今算法記》(1671)の中で天元術を解説した。算木は朱が正の数,黒が負の数を表す。…
…さらに《算学啓蒙》の覆刻が拍車をかけた。沢口一之は天元術の解説を掲載した《古今算法記》(1671)を出版し,その巻末に天元術では解けない遺題15問を示した。天元術では,数字係数の一元高次方程式か連立多元一次方程式しか扱えない。…
※「沢口一之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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