中国で発達した一種の代数学。中国数学では算木を使って数字を表し,各種の計算を行った。金がモンゴルに滅ぼされた1234年のころ華北の地で考案された天元術は,これに加えて未知数を表示し,代数計算を行った。現在の代数で〈未知数をxとする〉という表現に対し,天元術では〈天元の一を立てる〉といい,これがその名称の起りである。算木による数字をアラビア数字で表すと,例えば25x2+280x-6905は,
25
280 元
-6905
のように〈元〉字を添えることによって表示された。天元術に関する現存最古の数学書は金の李冶の《測円海鏡》(1248)である。元の時代に朱世傑は《算学啓蒙》(1299)を著して天元術を解説した。この書物は朝鮮で復刻され,これが豊臣秀吉の文禄・慶長の役のころ日本に伝わり,和算の発達に大きな影響を与えた。
執筆者:藪内 清 日本に天元術が伝わったのは,中国の《算学啓蒙》を江戸初期の数学者が読んで理解することができたからである。とくに研究は関西の数学者から始まった。橋本正数の弟子の沢口一之は,その著《古今算法記》(1671)の中で天元術を解説した。算木は朱が正の数,黒が負の数を表す。紙に書くときは,負の数には斜めに筋を入れる。図1は3-4x+x2-7x3,あるいはこの式が0に等しいことを表す。前述の〈天元の一を立てる〉とは,図2に示す0+1・xのことである。次に図3に天元術による解き方を示す。例えば,面積644歩の長方形があって,横は縦より5間短いとする。横の長さを天元の一,すなわち未知数xとおく。方程式はx2+5x-644=0が得られる。まず,x2-644≒0とみて,x1=20を得る。x2+5x-644=(x-20)(x+25)-144=(x-20)2+45(x-20)-144,ここでx2=x-20とおく。x22+45x2-144=(x2-3)(x2+48)であるから,x2=3が得られる。したがって,x=x1+x2=20+3=23が答えである。
関孝和は,この天元術を一般的な代数に応用し,紙に書き表せるように改良した。これが点竄(てんざん)術である。関の時代には分数式の表し方に苦労したが,関の弟子建部賢弘により,今日の方法とほぼ同じ方法がくふうされた(図4)。
執筆者:下平 和夫
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中国および日本で中世に行われた用器式代数をいう。中国において朱世傑(しゅせいけつ)が『算学啓蒙(けいもう)』(1299)で初めて用いた、赤黒の算木(赤は正数、黒は負数を表す)を用い、それを升目を引いた算盤の上に並べて一元の高次方程式を表し問題を解いた。ただこの方法の発明された時期がそろばんの流行期と重なったため、まもなく算木の使用が廃れ、同時に天元術も廃れてしまった。隣国朝鮮では後世に至るまで算木が用いられ、豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮侵略を機会として日本に伝わり天元術が行われることになった。
点竄(てんざん)術が始まると天元術は不用となるわけであるが、点竄術を学ぶ予備段階として初学者の間で行われた。そのため『改正天元指南』などの書物の流行は続いた。
天元術の名は、未知数のことを天元の一と称し、○○を未知数とするという意味を「天元の一を立てて○○とする」という言い方をすることから出たものであって、中国では天元のほかに、人元、地元などの未知数をいくつか用いた四元法なども行われたが、これは流行をみないで終わった。
[大矢真一]
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…この金・元交替のころ,華北を中心に新しい数学が興った。かつて金に仕えた李冶の《測円海鏡》(1248)に紹介された〈天元術〉がそれで,一種の代数術である。現在の代数学で〈未知数をxとする〉というのに対し,〈天元の一を立てる〉といい,〈元〉字を数字の横に記し,任意の次数の方程式を表示するのである。…
※「天元術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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