沢村源之助(読み)さわむらげんのすけ

精選版 日本国語大辞典 「沢村源之助」の意味・読み・例文・類語

さわむら‐げんのすけ【沢村源之助】

歌舞伎俳優。屋号紀伊国屋。四世。本名沢村清三郎。俳名秋香、のち青岳。三世の養子。明治一五年(一八八二)四世源之助を襲名。五世尾上菊五郎・九世市川団十郎・中村宗十郎らの相手役をつとめた。同三六年ごろから小芝居に移り、河竹黙阿彌毒婦物を得意とし、伝法肌の女の役にすぐれた。浅草田圃(あさくさたんぼ)に住んでいたので、「田圃太夫」ともいわれた。安政六~昭和一一年(一八五九‐一九三六

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改訂新版 世界大百科事典 「沢村源之助」の意味・わかりやすい解説

沢村源之助 (さわむらげんのすけ)

歌舞伎俳優。屋号は紀伊国屋。(1)初世 4世沢村宗十郎の前名。(2)2世 5世沢村宗十郎(5世沢村長十郎)の前名。(3)3世(1804-63・文化1-文久3) 前名は沢村清子,市川右団次,沢村清十郎。1846年(弘化3)3世源之助を襲名。大坂小芝居の人気役者として時代・世話を兼ね,和実を得意とし女方もつとめた。(4)4世(1859-1936・安政6-昭和11) 本名沢村清三郎,俳名秋香,青岳。前名は2世沢村清子,2世沢村清十郎。1882年4世源之助を襲名。女方として5世菊五郎,9世団十郎らの相手役をつとめたが,1903年ごろから小芝居に移り,黙阿弥悪婆物好演,晩年に大芝居に復帰。浅草田甫に住居し〈田甫の太夫〉と呼ばれた。江戸前の伝法肌の女を演じて頽廃的な色気を醸し,また立役も兼ねた。(5)5世(1907-82・明治40-昭和57) 本名木村宮之助。前名片岡千代麿。1936年5世源之助を襲名。女方。
沢村宗十郎
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「沢村源之助」の意味・わかりやすい解説

沢村源之助
さわむらげんのすけ

歌舞伎(かぶき)俳優。初世および2世は、4世および5世沢村宗十郎の前名。

服部幸雄

3世

(1804―63)5世宗十郎の弟。1846年(弘化3)3世を継ぎ、大坂の浜芝居座頭(ざがしら)を勤めた。和事(わごと)を得意とし、女方(おんながた)もできた。

[服部幸雄]

4世

(1859―1936)3世の養子。1882年(明治15)4世を襲名。浅草田圃(たんぼ)に住んでいたことから、「田圃の太夫」の名で親しまれ、人気も高かった。幕末期の退廃的な色気をもち、江戸歌舞伎最後の女方といわれる。江戸前の伝法肌の女性や毒婦の役をもっとも得意にした。

[服部幸雄]

5世

(1907―82)脚本作者木村錦花(きんか)の子。4世源之助の女婿となり、1936年(昭和11)5世を襲名。じみな女方で、脇(わき)役の女房役が多かった。

[服部幸雄]

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