江戸内藤新宿橋本屋の遊女白糸と情死し,家名断絶となったと伝えられる武士。詳細は不明だが,天保~嘉永期(1830-54)に流行唄となり,瞽女(ごぜ)唄のヤンレイクドキや盆踊唄にうたわれ,また実録本にも行われて著名であった。その歌詞は〈花のエエ花のお江戸のその町々に,さても名高き評判がござる,ところ四谷の新宿辺に,軒を並べて女郎屋がござる,紺ののれんに桔梗の紋は,音に聞えし橋本屋とて,あまた女郎衆が皆玉揃ひ,中に全盛白糸様は年は十九で当世姿,立てば芍薬座れば牡丹,我も我もと名指しで上る,わけてお客のあるその中に,ところ青山百人町に鈴木主水といふ侍は,女房持にて子供が二人……〉。この俗謡に取材して歌舞伎化したのが1852年(嘉永5)3月市村座の《隅田川対高賀紋(ついのかがもん)》(3世桜田治助作)。2児を置き去りに家の崩壊もかえりみず,宿場女郎と心中をとげる武士に,幕末期の暗い世相と情趣が感取される。主水の妻お安が白糸に縁切りを頼む場面に使われた清元《重褄閨の小夜衣(かさねづまねやのさよぎぬ)》は常磐津にも改調されて現存するが,芝居は現在ほとんど行われない。内藤新宿を舞台化した新鮮味が当時好評だった。白糸主水の芝居はその後大坂へも移入され,55年(安政2)8月,中の芝居《褄重縁色揚(つまがさねえにしのいろあげ)》や《百人町浮名読売》などの上方系の作品としてしばしば上演された。
執筆者:小池 章太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
俗説、およびこれを脚色した音曲・戯曲上の人物名。事実は未詳だが、江戸青山に住んだ侍で、1801年(享和1)内藤新宿(ないとうしんじゅく)の娼妓(しょうぎ)橋本屋白糸(しらいと)と情死したといわれ、嘉永(かえい)(1848~54)ごろ、瞽女(ごぜ)の唄(うた)「ヤンレェくどき」に謡われて名が広まり、清元(きよもと)・常磐津(ときわず)や八木節(やぎぶし)にも扱われた。歌舞伎(かぶき)に脚色した最初は、1852年(嘉永5)3月江戸市村座初演、3世桜田治助(じすけ)作『隅田川対加賀紋(ついのかがもん)』で、書替え物に『褄重縁色揚(つまかさねえにしのいろあげ)』、『鈴木主水恋白糸(こいのしらいと)』『恋音便(こいのたより)主水白糸』などがあり、なかでも『百人町浮名読売(ひゃくにんまちうきなのよみうり)』は近年でも上演され、7世沢村宗十郎の当り芸「高賀(こうが)十種」に選ばれている。
[松井俊諭]
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
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