デジタル大辞泉
「中村吉右衛門」の意味・読み・例文・類語
なかむら‐きちえもん〔‐キチヱモン〕【中村吉右衛門】
歌舞伎俳優。屋号、播磨屋。
(初世)[1886~1954]東京の生まれ。3世中村歌六の長男。9世市川団十郎の芸風を継承し、立役を得意とした。6世尾上菊五郎と菊吉時代をつくった名優。文化勲章受章。
(2世)[1944~2021]東京の生まれ。初世松本白鸚の次男。の芸風を継承して活躍。松貫四の筆名で歌舞伎の脚本も手掛けたほか、テレビドラマにも出演するなど、広く親しまれた。人間国宝。
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なかむら‐きちえもん【中村吉右衛門】
- 歌舞伎俳優。初世。本名波多野辰次郎。東京出身。明治三〇年(一八九七)中村吉右衛門と称し初舞台。時代物役者の第一人者として尾上菊五郎とともに菊吉と並び称され、昭和の歌舞伎を代表。明治一九~昭和二九年(一八八六‐一九五四)
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中村 吉右衛門(初代)
ナカムラ キチエモン
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 肩書
- 日本芸術院会員〔昭和22年〕
- 本名
- 波野 辰次郎
- 別名
- 俳名=秀山
- 屋号
- 播磨屋
- 生年月日
- 明治19年 3月24日
- 出生地
- 東京府浅草区象潟町(東京都 台東区)
- 経歴
- 明治30年中村吉右衛門を名乗り市村座で初舞台。35年歌舞伎座の座付となり、9代目市川団十郎と同座して指導を受ける。38年名題に昇進、41年二長町の市村座に入座、6代目菊五郎と共に人気を二分し、“菊吉時代”“二長町時代”を築いた。大正10年市村座を脱退して松竹に所属、「二条城の清正」「蔚山城の清正」「熊本城の清正」の三部作で“清正役者”とも呼ばれた。18年中村吉右衛門一座を結成。近代的知性に裏打ちされ、深刻で飄逸、科白のうまさは絶品とされた。昭和26年文化勲章を受章。また、俳句をよくし、高浜虚子に師事して「ホトトギス」同人。句集に「吉右衛門句集」がある。他の著書に「吉右衛門自伝」「吉右衛門日記」がある。
- 受賞
- 文化勲章〔昭和26年〕
- 没年月日
- 昭和29年 9月5日 (1954年)
- 家族
- 父=中村 歌六(3代目),弟=中村 時蔵(3代目),中村 勘三郎(17代目),孫=松本 幸四郎(9代目),中村 吉右衛門(2代目)
- 親族
- 女婿=松本 白鸚(初代)
- 伝記
- 私の歌舞伎座ものがたり大向うの人々―歌舞伎座三階人情ばなし能・歌舞伎役者たち森銑三著作集〈続編 第6巻〉 人物篇〈6〉女形の運命閃光の記憶から―生と死のあいだ遠いあし音・人はさびしき―人物回想むかし恋しい 渡辺保山川 静夫 著塚本 康彦 著森 銑三 著渡辺 保 著上総 英郎 著小林 勇 著宇野 信夫 著(発行元 朝日新聞出版講談社朝日新聞社中央公論社筑摩書房マルジュ社筑摩書房河出書房新社 ’10’09’94’93’91’91’87’86発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
中村吉右衛門
なかむらきちえもん
歌舞伎(かぶき)俳優。屋号播磨(はりま)屋。
初世
(1886―1954)3世中村歌六(かろく)の長男。本名波野辰次郎。3世時蔵、17世勘三郎の兄。俳名秀山(しゅうざん)。1897年(明治30)中村吉右衛門の芸名で初舞台。明治末期から大正初期にかけて、6世尾上(おのえ)菊五郎とともに二長町(にちょうまち)の市村座に出演し、いわゆる市村座時代(二長町時代ともいう)を築き、9世市川団十郎、5世尾上菊五郎亡きあとの歌舞伎界に新風を送り、「菊・吉」と並び称されて近代歌舞伎の一時期を画した。9世団十郎の芸風を継承するとともに、父3世歌六から教えられた上方(かみがた)風の芸風を巧みに吸収し、正統派の時代物役者として昭和歌舞伎の代表的名優となった。役に感情を込めた情熱的な演技と、卓越した台詞(せりふ)術を駆使して観客を沸かせた。石切梶原(いしきりかじわら)、盛綱(もりつな)、熊谷(くまがい)、清正などは格別の当り役だった。1947年(昭和22)日本芸術院会員となり、1951年に文化勲章を受けた。
2世
(1944―2021)本名波野辰次郎。初世の女婿である初世松本白鸚(はくおう)の次男。初世の養子となる。1966年(昭和41)10月、中村万之助から2世吉右衛門を襲名した。兄の9世松本幸四郎(のちの2世白鸚)とともに、平成歌舞伎を代表する俳優の一人として活躍した。2002年(平成14)日本芸術院会員、2011年重要無形文化財保持者(人間国宝)、2017年文化功労者となる。 なお、宝暦(ほうれき)~文化年間(1751~1818)に、上方に初世・2世の同名の俳優があったが、播磨屋の吉右衛門とは関係がない。
[服部幸雄]
『『吉右衛門日記』(1956・演劇出版社)』▽『小宮豊隆著『中村吉右衛門』(1962・岩波書店)』▽『2世中村吉右衛門著『物語り』(1996・マガジンハウス)』▽『『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(1998・小学館)』
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中村吉右衛門(2世)
なかむらきちえもん[にせい]
[生]1944.5.22. 東京
[没]2021.11.28. 東京
歌舞伎俳優。屋号播磨屋。本名波野辰次郎。歌舞伎界を代表とする立役の一人として活躍し,数多くのあたり役にも恵まれた。8世松本幸四郎の二男として生まれ,その後,母方の祖父である 1世中村吉右衛門の養子となる。1948年,中村萬之助として初舞台を踏み,1966年に 2世中村吉右衛門を襲名。時代物,世話物ともに得意とし,古典歌舞伎から新歌舞伎まで幅広く演ずる技巧派として知られ,時代物では『熊谷陣屋』の熊谷直実,『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助,『義経千本桜』の平知盛,『勧進帳』の武蔵坊弁慶などを,世話物では『極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)』の幡随院長兵衛,『天衣紛上野初花』の河内山宗俊などをあたり役とした。また,「松貫四(まつかんし)」の筆名で新作歌舞伎も創作した。2006~19年には 12回にわたって 1世中村吉右衛門の俳名にちなんだ「秀山祭」を歌舞伎座で催して,その功績や芸術を後世に残すことに努め,後進の指導に熱心に取り組んだ。映像作品では 1989~2016年テレビ時代劇シリーズ『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役で主演した。1955年毎日演劇賞演技特別賞,1984年日本芸術院賞,2002年芸術祭演劇部門大賞,2006年毎日芸術賞,朝日舞台芸術賞,2007年読売演劇大賞優秀男優賞など受賞多数。2002年日本芸術院会員。2011年重要無形文化財保持者(人間国宝)。2017年文化功労者。
中村吉右衛門(1世)
なかむらきちえもん[いっせい]
[生]1886.3.24. 東京
[没]1954.9.5. 東京
歌舞伎俳優。屋号播磨屋。本名波野辰次郎。立役。3世中村歌六の長男。 1897年初舞台,同年から浅草座で始った子供芝居に出演。 1905年から6世尾上菊五郎と市村座に出演,好評を博し,いわゆる二長町 (にちょうまち。市村座の所在地) 時代を現出したが,21年脱退して松竹所属。時代物,世話物ともによく,ことに時代物の型物には9世市川団十郎の芸を継承した重厚さをもち,口跡は名調子といわれた。 43年吉右衛門一座を組織,47年日本芸術院会員,51年文化勲章受章。当り役は『一谷嫩軍記』の熊谷,『近江源氏先陣館』の盛綱,『三浦大助紅梅たずな』の石切梶原など。
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中村 吉右衛門(1代目)
ナカムラ キチエモン
明治〜昭和期の歌舞伎俳優
- 生年
- 明治19(1886)年3月24日
- 没年
- 昭和29(1954)年9月5日
- 出生地
- 東京府浅草区象潟町(現・東京都台東区)
- 本名
- 波野 辰次郎
- 別名
- 俳名=秀山
- 屋号
- 播磨屋
- 主な受賞名〔年〕
- 文化勲章〔昭和26年〕
- 経歴
- 明治30年中村吉右衛門を名乗り市村座で初舞台。35年歌舞伎座の座付となり、9代目市川団十郎と同座して指導を受ける。38年名題に昇進、41年二長町の市村座に入座、6代目菊五郎と共に人気を二分し、“菊吉時代”“二長町時代”を築いた。大正10年市村座を脱退して松竹に所属、「二条城の清正」「蔚山城の清正」「熊本城の清正」の三部作で“清正役者”とも呼ばれた。18年中村吉右衛門一座を結成。近代的知性に裏打ちされ、深刻で飄逸、科白のうまさは絶品とされた。昭和26年文化勲章を受章。また、俳句をよくし、高浜虚子に師事して「ホトトギス」同人。句集に「吉右衛門句集」がある。他の著書に「吉右衛門自伝」「吉右衛門日記」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
中村吉右衛門 (なかむらきちえもん)
歌舞伎俳優。屋号播磨屋,家紋揚羽蝶。(1)初世(1886-1954・明治19-昭和29) 本名波野辰次郎。3世中村歌六の長男として浅草に生まれ,1897年吉右衛門の名で初舞台。幼少から頭角を現し,浅草座の子供芝居で活躍,のち6世尾上菊五郎とともに市村座に出演し,菊吉時代を作る。21年市村座脱退,43年中村吉右衛門劇団を組織,47年菊五郎とともに芸術院会員となり,51年文化勲章受章。9世市川団十郎の芸風の継承者として《嫩軍記》の熊谷,《盛綱陣屋》の盛綱,《逆櫓》の樋口,その他時代物に数々の名品を残したほか,父歌六の上方物や,菊五郎と2人で演じた生世話(きぜわ)狂言にも優れたものが多い。特に清正物は有名で清正役者ともいわれた。(2)2世(1944(昭和19)- ) 初世の孫。8世松本幸四郎(のちの松本白鸚)の次男。1948年中村万之助の名で初舞台。61年から父とともに東宝に移籍し,66年帝国劇場開場を機に吉右衛門を襲名した。
なお,江戸時代,上方に同名の役者がいたが,まったく関係はない。
執筆者:千谷 道雄
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百科事典マイペディア
「中村吉右衛門」の意味・わかりやすい解説
中村吉右衛門【なかむらきちえもん】
歌舞伎俳優。現在2世。屋号播磨(はりま)屋。初世〔1886-1954〕は3世中村歌六(かろく)の長男。青年時代6世尾上菊五郎らと市村座で人気を集め,壮年以後も昭和の歌舞伎に貢献。得意は時代物。1951年文化勲章。長女の夫が8世松本幸四郎で,その次男〔1944-〕が1966年2世を襲名。
→関連項目中村勘三郎|播磨屋
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
中村吉右衛門(2代) なかむら-きちえもん
1944- 昭和後期-平成時代の歌舞伎役者。
昭和19年5月22日生まれ。8代松本幸四郎の次男。9代松本幸四郎の弟。母方の祖父初代中村吉右衛門の養子。昭和23年初舞台。41年帝国劇場で2代を襲名。せりふ回しの精緻さで知られる。テレビ「鬼平犯科帳」などに出演。60年芸術院賞。平成14年芸術院会員。19年「元禄忠臣蔵」などで毎日芸術賞,朝日舞台芸術賞。21年「逆櫓」「大老」で読売演劇大賞選考委員特別賞。23年人間国宝。東京都出身。早大卒。本名は波野辰次郎。俳名は秀山,貫四。初名は中村万之助。屋号は播磨屋(はりまや)。
中村吉右衛門(初代) なかむら-きちえもん
1886-1954 明治-昭和時代の歌舞伎役者。
明治19年3月24日生まれ。3代中村歌六の長男。明治30年東京市村座で初舞台。歌舞伎座の座付をへて名題にすすむ。41年6代尾上菊五郎とともに市村座にはいり人気を二分,時代物を得意とした。昭和22年芸術院会員,26年文化勲章。昭和29年9月5日死去。68歳。東京出身。本名は波野辰次郎。俳名は楓童,秀山。屋号は播磨屋(はりまや)。著作に「吉右衛門自伝」など。
中村吉右衛門(旧・初代) なかむら-きちえもん
1694-1770 江戸時代中期の歌舞伎役者。
元禄(げんろく)7年生まれ。佐野川万菊の弟。佐野川十蔵の名で地方の芝居で評判をえて,享保(きょうほう)8年江戸森田座で大芝居の初舞台。翌年中村十蔵とあらため,京都,大坂で立役(たちやく)として活躍。武道,実事を得意とした。宝暦9年吉右衛門と改名。明和7年6月17日死去。77歳。京都出身。俳名は獅子吼。屋号は平野屋。
中村吉右衛門(旧・2代) なかむら-きちえもん
?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
旧初代中村吉右衛門の一門で,中村吉之助の門弟。大坂宮地芝居の若女方をへて,大坂浜芝居の立女方として活躍する。文化10年(1813)2代を襲名。前名は中村吉蔵。俳名は周幸。屋号は加賀屋。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
中村吉右衛門
なかむらきちえもん
1886.3.24~1954.9.5
初世。歌舞伎俳優。東京都出身。3世中村歌六の長男。本名波野辰次郎。俳名秀山。屋号は播磨屋。子供歌舞伎で頭角を現し,明治末~大正期には6世尾上菊五郎と市村座で激しく人気を競った。以来,第2次大戦後まで東京劇壇の中心的存在として活躍。時代物の英雄役が本領だが,世話物の軽妙な役にも傑作が多い。芸術院会員。文化勲章をうける。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
中村 吉右衛門(初代) (なかむら きちえもん)
生年月日:1886年3月24日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1954年没
中村 吉右衛門(2代目) (なかむら きちえもん)
生年月日:1944年5月22日
昭和時代;平成時代の歌舞伎俳優
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の中村吉右衛門の言及
【蔦紅葉宇都谷峠】より
…名人小団次と黙阿弥という幕末歌舞伎を代表するコンビは,この一作によって確立された。近代では6世尾上菊五郎の文弥,仁三の二役と初世中村吉右衛門の十兵衛が好評。早替りと殺し場が際立つため小芝居向きとして軽視されがちだったが,じつは義理と因果にあえぐ人物を活写した重厚な作。…
【八幡祭小望月賑】より
…しかし原作の〈噓から出た誠〉の諺どおりの新助の恋,美代吉の切ない愛想づかし,そして妖刀村正の魔力で逆上した新助が美代吉はじめ多くの人々を殺し,恋人が実妹と知り自滅するまでのキメこまやかなプロセスと歌舞伎味の濃さは本作が勝る。初世中村吉右衛門は新助を名演し,近代味を加えた。【落合 清彦】。…
【松貫四】より
…彼の作品はほとんど先人の作に手を加えたもので浄瑠璃の常套(じようとう)を出たものではないが,作中に江戸の風俗を点描するなど目新しさがあり,江戸市中に大いに迎えられた。なお,松貫四は歌舞伎俳優の2世[中村吉右衛門]の母方の祖である。【青木 繁】。…
※「中村吉右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」