河東村(読み)かとうむら

日本歴史地名大系 「河東村」の解説

河東村
かとうむら

[現在地名]小笠町河東

現小笠町の南端部に位置し、北半部の西境きく川支流牛淵うしぶち川、北境を牛淵川支流高橋たかはし川が流れる。南は河東山を挟んで門屋かどや村・合戸ごうど(現浜岡町)に接し、門屋には笠原かさはら庄一宮と称された高松たかまつ神社がある。当地中世には河東郷とよばれ、同社とのかかわりが深かった。大治二年(一一二七)一一月一三日の祝部高行譲状(中山文書、以下断りのない限り同文書)では、遠江国一宮等の神主職と河東郷が譲られているが、当譲状は検討の余地がある。高松社神主職を譲った貞和五年(一三四九)一一月一二日の唯道置文では、御宮立用米として「河東両郷」の一六石余が充てられている。永禄六年(一五六三)三月晦日の朝比奈泰忠判物は、「河尻かハらけ田」「すま田」の計五段を高松社神主に安堵したもので、端裏書は「かとうあきさたの地頭よりの一札也」と判読される。


河東村
かとうむら

[現在地名]宗像市河東・ひかりヶおか一―七丁目・城西じようせいおか一―二丁目

旧市域の北部、つり川中流右岸に位置する。元禄国絵図によると高分り枝郷として西方多礼たれ村があり、天保郷帳でも当村枝郷として高付されている。小早川時代の指出前之帳では河東村の田五二町二反余(分米八三八石余)・畠一七町三反余(分大豆六二石余)。文禄三郡内知行方目録には鞍手くらて郡「かとう村」が載る。慶長九年(一六〇四)の宗像郡河東村の検地高一千三三四石余(慶長石高帳)


河東村
かわひがしむら

[現在地名]北部町和泉いずみ 川東かわひがし

井芹いせり川右岸の台地上にあり、西は龍福寺りゆうふくじ村、南は桑鶴くわづる村、東は赤水あかみず村に接する。慶長国絵図に川東村とあり、慶長年間(一五九六―一六一五)検地帳に「鹿子木村川東村」とあり、田方六二町七畝余・畠方一一三町三反六畝余、分米一千四二八石七斗余と、広大な村域を有した。「国誌」によれば五町手永に属し、「皮籠石村小桑鶴村等ノ小村アリ」とし、もとはうえ村といったが、細川忠利の命により飢村と紛らわしいので、河東村と改称したと記す。宝暦一四年(一七六四)の下ケ名寄帳では田畑合せて二七町二反五畝余と減少している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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