日本大百科全書(ニッポニカ) 「津打治兵衛」の意味・わかりやすい解説
津打治兵衛
つうちじへえ
歌舞伎(かぶき)作者。大坂の岩井半四郎座の俳優で作者も兼ねた津山治兵衛が、晩年に津打の治兵衛と称したのに始まる。
[古井戸秀夫]
2世
(1683―1760)初世の子。父とともに江戸に下り、1705年(宝永2)ごろ2世を継いだ。1710年の『一心二河白道(いっしんにがびゃくどう)』で名作者としての地位を確立、宝暦(ほうれき)(1751~64)中ごろまで江戸で君臨。時代物のなかに世話の筋を組み込む「綯交(ないま)ぜ」を定着させ、江戸歌舞伎作者中興の祖と称された。『式例和曽我(しきれいやわらぎそが)』など当り作は多いが作品は伝わらず、絵入り狂言本によって粗筋が知られるのみである。
[古井戸秀夫]