朝日日本歴史人物事典 「津田助広(2代)」の解説
津田助広(2代)
生年:寛永14(1637)
江戸前期の刀工。摂津国打出村(芦屋市)生まれ。初代津田助広の次男あるいは養子で,寛文3(1663)年,初代助広が没すると2代目助広となり,初代の越前守の官名も継ぎ,寛文7年には大坂城代青山因幡守宗俊の抱え工となった。初代助広が丁字乱れの刃文を焼いたのに対し,2代は波濤をかたどった沸の深く付いた濤瀾刃と呼ばれる刃文を創始した。見た目にも美しいこの刃文は一世を風靡し,同時代の井上真改と共に大坂新刀を代表する名工と評される。この濤瀾刃は大坂鍛冶に大きな影響をおよぼし,弟子の助直はじめ越後守包貞,一竿子忠綱など,この濤瀾刃を焼く刀工が多く出た。<参考文献>飯田一雄『越前守助広大鑑』
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報