袁枚(読み)エンバイ

デジタル大辞泉 「袁枚」の意味・読み・例文・類語

えん‐ばい〔ヱン‐〕【袁枚】

[1716~1797]中国、清代の文人あざなは子才。号は簡斎・随園老人。詩は格式にとらわれず、自己性情を自由に表現すべきものと性霊せいれい説を主張食通としても知られ、「随園食単」は有名。著「小倉山房集」「随園詩話」など。

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精選版 日本国語大辞典 「袁枚」の意味・読み・例文・類語

えん‐ばいヱン‥【袁枚】

  1. 中国清代の詩人。字(あざな)は子才。号は簡斎。随園ともいう。浙江銭塘の人。「性霊説」を唱え、古文駢文(べんぶん)にもすぐれる。門下から閨秀詩人が輩出した。著「随園集」「随園詩話」など。(一七一六‐九七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「袁枚」の意味・わかりやすい解説

袁枚
えんばい
(1716―1797)

中国、清(しん)代の詩人、文人。字(あざな)は子才、号は簡斎・随園(ずいえん)。浙江(せっこう)省銭塘(せんとう)県の出身。1739年(乾隆4)の進士。県知事を歴任して名知事の誉(ほま)れ高かったが、江寧(こうねい)(南京(ナンキン))在任中に城西の小倉山(しょうそうざん)に大邸宅を構え、これに随園と名づけた。38歳で辞職し、以降83歳の没年まで在野の詩人、文人として活躍した。彼は主として文筆活動により豪奢(ごうしゃ)な生活を維持し、大ぜいの男女の弟子に囲まれ詩壇の二大巨人の一人として乾隆(けんりゅう)年間に時めいた。沈徳潜(しんとくせん)の格調説に対して、明(みん)の袁宏道(えんこうどう)らの公安派と相通じる性霊(せいれい)説を唱えた。前者の復古主義的傾向に反対し、性情の流露するままに自由に歌うべきであり、古人模倣技巧のすえに走ってはならないと主張した。叙情詩を喜び、学力で詩をつくる時流を退けるその平明な詩風は白居易(はくきょい)を連想させるものがあるが、自分ではそれを否定し、また明末の公安派との関係も明言していない。沈徳潜との論争のなかで明末の王次回の恋愛詩も弁護している。

 その在野精神は、生活態度にも現れている。文才ある妻妾(さいしょう)を好み、女性を集めて詩を教えるなど当時の倫理観からかなりはみだしている。古文、駢文(べんぶん)ともに優れ、有名な食通でもあり、『随園食単』がある。全集は『随園三十種』とよばれている。

[佐藤一郎]

『青木正児訳註『随園食単』(岩波文庫)』『中山時子他訳『随園食単』(1975・柴田書店)』

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改訂新版 世界大百科事典 「袁枚」の意味・わかりやすい解説

袁枚 (えんばい)
Yuán Méi
生没年:1716-97

中国,清代中期の詩人。浙江省杭州の出身。字は子才,号は簡斎。趙翼,蔣士銓とあわせ〈乾隆三大家〉の一人。23歳で進士となり,43歳上の沈徳潜(しんとくせん)と同窓。32歳で退官してからは,短期間の再就職を除いて,文筆業によりながら南京小倉山の別荘随園での生活を楽しむ一方,商業都市揚州などにも足しげく訪れ,多数の文化人と交遊した。その詩論は〈性霊説〉とよばれ,人間の自然な気持をすなおに表現することを説くもので,商人出身などの新しい文化人の考え方を代表し,王士禎の〈神韻説〉や沈徳潜の〈格調説〉に対立した。しかし明代の袁宏道とちがって学問を重視する点では清代の思潮の中にある。《随園詩話》26巻はその文学活動の記録であり,なかでも女性や働く人々の詩句を採録している点が注目される。またみずから育成した女流詩人28人の《随園女弟子選》6巻,怪談物語《子不語》24巻,料理法の解説書《随園食単》などには,多彩で型破りな生きかたの一端がそれぞれ反映されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「袁枚」の意味・わかりやすい解説

袁枚
えんばい
Yuan Mei

[生]康煕55(1716)
[没]嘉慶2(1797)
中国,清の文学者。浙江省銭塘の人。字,子才。号,簡斎。貧乏士族の出身で,乾隆4 (1739) 年進士に及第。江蘇省の諸県の知事を歴任して治績をあげたが,同 20年,父の喪にあって官をやめ,江寧の小倉 (しょうそう) 山で屋敷を手に入れ,随園と名づけた。それによって随園先生とも呼ばれる。以後,豪奢な生活をおくりつつ,在野の詩人として活躍。詩は真情の発露を重んじる性霊説 (→性霊派 ) を唱えて,格律を重んじる宮廷派の沈徳潜と詩壇を二分し,文は古文,駢文 (べんぶん) ともにすぐれ,紀いんとともに「南袁北紀」と称せられた。主著『小倉山房集』 (82巻) ,『随園詩話』 (26巻) ,『随園食単』 (1巻) ,志怪小説『子不語 (しふご) 』。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「袁枚」の解説

袁枚(えんばい)
Yuan Mei

1716~97

清の文人。浙江(せっこう)省銭塘(せんとう)の人。号は随園。乾隆(けんりゅう)時代の三大詩人の一人で,宋詩を重んじて性霊説を唱えた。文章にも優れ,著書に『小倉山房集』『随園詩話』などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の袁枚の言及

【子不語】より

…中国,清代の袁枚(えんばい)が収集した18世紀後半の怪談集(最も新しい話は1791年)。のちに《新斉諧》と改名。…

【随園食単】より

…中国,清代の文人として名高い袁枚(えんばい)(随園は,彼の庭園の名であり,また雅号でもある)が著した料理書。1巻。…

【性霊説】より

…前・後七子の古文辞派の格調説が詩情を拘束することを嫌い,《文心雕竜(ぶんしんちようりよう)》にみえる性霊の語を用いて詩人固有の真情を尊重し,独創性を重視せんと主張した。別派に鍾惺の竟陵派を生むが,清代に袁枚(えんばい)がさらに展開させた。それが空疎放恣に流れることを嫌った王士禎は神韻説を主張して反対した。…

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