デジタル大辞泉
「五刑」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
Sponserd by 
ご‐けい【五刑】
- 〘 名詞 〙 罪人に対する五つの刑罰。古代中国では墨(いれずみ)、劓(はなきり)、剕(あしきり)、宮(男子の去勢、女子の陰部の縫合)、大辟(くびきり)をさす。隋・唐の時代には、笞(ち)(むちで打つこと)、杖(じょう)(つえで打つこと)、徒(ず)(懲役)、流(る)(遠方へ追放すること)、死(死刑)の五つをいう。日本では、大宝・養老律以後この隋・唐の方式がとられ、近世まで行なわれていた。→五罪。
- [初出の実例]「終に助くる人无くして、五形を備ふ」(出典:今昔物語集(1120頃か)九)
- 「積悪姦曲の佞臣はやく五けいの罪にしづめずんば」(出典:浄瑠璃・国性爺合戦(1715)一)
- [その他の文献]〔書経‐舜典〕
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
Sponserd by 
五刑 (ごけい)
Wǔ xíng
中国の刑罰体系。二つの意味がある。第1は《書経》《周礼(しゆらい)》など先秦時代の古典に現れる五刑であって,墨(いれずみ。黥(げい)ともいう),劓(ぎ)(はなきり),剕(び)(あしきり),宮(去勢),大辟(死刑)の5種類の刑罰をいう。第2は唐律以降,歴代の律に現れる五刑であって,笞(軽いたたき。10,20,30,40,50の5等),杖(重いたたき。60,70,80,90,100の5等),徒(強制労働。1年,1年半,2年,2年半,3年の5等),流(強制移住。2000里,2500里,3000里の3等),死(絞,斬の2等)という5種類20等の刑罰をいう。
執筆者:滋賀 秀三
日本
日本古代の大宝・養老律令に継受された五刑は,唐律の流の区分を近,中,遠とするほかは,その体系は唐と変わらない。ただし,五刑二十等に対応する贖銅(しよくどう)の額は,徒3年以下は日唐ともに同じであるが,三流二死は養老律の方が唐律よりも多い。7世紀半ばの大化ころから中国の五刑が積極的に摂取されるが,他の刑にくらべて徒刑は最もおそく成立したもので,7世紀末の天武初年に至って初めて五刑の刑罰体系が整備された。
→死罪 →杖罪 →徒(ず)罪 →笞(ち)罪 →流罪
執筆者:小林 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
Sponserd by 
五刑【ごけい】
中国の刑罰。先秦時代の古典によると,死刑と四つの肉刑をさした。肉刑とは宮(男子は去勢,女子は幽閉する),【び】(足切り),【ぎ】(鼻切り),黥(げい)(入墨)をいう。唐以降の律では笞(ち),杖(じょう),徒(ず),流(る),死をさした。日本古代の大宝律令は,同じく笞,杖,徒,流(遠・中・近とあったが,後には遠流だけが用いられた),死(絞・梟首(きょうしゅ)もあったが,後には斬のみが用いられた)をさした。
→関連項目律書残篇|流罪
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
Sponserd by 
普及版 字通
「五刑」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
Sponserd by 
五刑
ごけい
wu xing
中国古代以来の基本的な刑罰体系。『書経』には大辟 (死刑) ,宮刑 (男は去勢,女は幽閉) ,ひ刑 (ひけい。足切り) ,ぎ刑 (ぎけい。鼻そぎ) ,墨刑 (入墨) ,『周礼 (しゅらい) 』には墨,ぎ,宮,げつ (足切り) ,殺があげられていて,中国にもヨーロッパと同様,流血の刑罰の時期のあったことを示す。しかし,前3世紀すでに,徒刑のような労役刑への発展があり,前2世紀には笞刑なども現れて,流血の刑罰からの脱却がみられ,北朝 (北斉,北周の2王朝) になって,死,流,徒,鞭,杖の五等の体系が成立し,隋,唐の五刑 (笞,杖,徒,流,死) に引継がれた。これが中国刑法史上の完成された刑罰体系で,それが,日本の大宝律,養老律や,高麗,李氏朝鮮およびベトナムなどの刑罰体系にも重要な影響を与えた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
五刑
ごけい
律令制下における5種類の刑罰
大宝律・養老律によって定められた,笞 (ち) ・杖 (じよう) ・徒 (ず) ・流 (る) ・死の5種の総称。笞と杖は竹のむちで臀 (しり) を打つ刑,徒は懲役,流は配所に流す刑,死は死刑。罪の軽重によって合わせて20等級にも分かれていた。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
Sponserd by 
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
Sponserd by 
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
Sponserd by 
世界大百科事典(旧版)内の五刑の言及
【刑罰】より
…7世紀半ばの大化期にはまだ徒刑は現れていないが,笞杖刑,流刑,死刑や盗犯に対する倍額賠償制等がみえ,それらには,中国律の影響がうかがわれる。 7世紀後半の天武朝初期に,日本に初めて唐律の五刑の刑罰体系が導入され,8世紀初頭の大宝・養老律令の制定に至って,その確立をみた。律の刑罰は,[笞罪](ちざい),[杖罪](じようざい),[徒罪](ずざい),[流罪](るざい),[死罪]の五刑二十等を主刑とし,このほか,加役流,人身の没官,移郷が主刑に準ずるものとしてあり,付加刑としては,贓物の没収,被害者への返還,損害賠償,官人に対しとくに科せられる[除名](じよみよう),免官,免所居官等がある。…
【中国法】より
…その詳細は知るべくもないが,《書経》の中の呂刑という篇が,そのおもかげを伝えていると思われる。都市国家内部にはあたかもギリシアのそれのごとく,支配階級たる士と,被支配階級たる庶民の対立が見られたが,呂刑にいうところの贖罪の制は士に適用さるべきもので,いわゆる五刑,すなわち肉体刑の五等は庶民に適用されたものと思われる。その五等とは,墨は顔に入れ墨すること,劓(ぎ)は鼻先を切りおとすこと,剕(ひ)は足を切ること,宮は男子の勢を去って中性となすこと,大辟は死刑である。…
※「五刑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
Sponserd by 