浅尾為十郎(読み)あさお・ためじゅうろう

朝日日本歴史人物事典 「浅尾為十郎」の解説

浅尾為十郎(初代)

没年:文化1.4.7(1804.5.16)
生年享保20(1735)
江戸中期,上方歌舞伎役者俳名奥山。浅尾元五郎の門弟。元禄期の女形浅尾十次郎の血筋で,京都の三味線弾きの子。子供芝居の出身で,中芝居では為蔵,杉本為十郎ののち宝暦6(1756)年に浅尾為十郎と改名。4年後に大芝居大坂姉川新四郎座へ進出,寛政10(1798)年には立役,実悪ともに極上上吉の位付けを得る。小柄だが音声よく華やかな芸風で,細か過ぎてくどくなるのが難であった。平敵(軽い敵役)を得意とし「おかしみ七分にくみ三分」と評されている。早替わりの妙手で,衣裳に凝った。当たり役は「傾城博多織」の毛剃など。名跡幕末の4代まである。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』2期

(上野典子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅尾為十郎」の解説

浅尾為十郎(3代) あさお-ためじゅうろう

1780-1836 江戸時代後期の歌舞伎役者。
安永9年生まれ。4代浅尾為十郎の父。初代浅尾為十郎の門弟。文政元年3代目をつぐが,一時2代浅尾奥山を名のり,天保(てんぽう)2年ふたたび為十郎を名のる。京都,大坂,江戸で活躍。敵役(かたきやく)を得意とした。天保7年1月死去。57歳。初名は初代浅尾友蔵。俳名は山道,奥山。屋号河内屋,銭屋

浅尾為十郎(初代) あさお-ためじゅうろう

1735-1804 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)20年生まれ。京芝居三味線方杉本為三郎の子。宝暦6年初代浅尾元五郎の門にはいって為十郎を名のり,京都,大坂で活躍。実悪(じつあく)を得意とし,老役(ふけやく),女方をかねた。文化元年4月7日死去。70歳。京都出身。前名は浅尾為蔵。俳名は奥山。屋号は銭屋。

浅尾為十郎(4代) あさお-ためじゅうろう

?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
3代浅尾為十郎の子。弘化(こうか)2年(1845)4代目を襲名し,大坂,京都,江戸で活躍。晩年は九州地方を巡業。敵役(かたきやく)を得意とした。慶応(1865-68)の末年ごろ死去。初名は浅尾房之助。前名は4代浅尾友蔵,3代浅尾奥次郎。俳名は寿猿。屋号は河内屋,大坂屋,銭屋。

浅尾為十郎(2代) あさお-ためじゅうろう

1779-1806 江戸時代後期の歌舞伎役者。
安永8年生まれ。初代浅尾為十郎の子。享和3年2代目を襲名,大坂で活躍。和事を得意とした。文化3年7月25日死去。28歳。初名は初代浅尾奥次郎。俳名は山子,奥山。屋号は銭屋。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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