朝日日本歴史人物事典 「浅尾為十郎」の解説
浅尾為十郎(初代)
生年:享保20(1735)
江戸中期,上方の歌舞伎役者。俳名奥山。浅尾元五郎の門弟。元禄期の女形浅尾十次郎の血筋で,京都の三味線弾きの子。子供芝居の出身で,中芝居では為蔵,杉本為十郎ののち宝暦6(1756)年に浅尾為十郎と改名。4年後に大芝居大坂姉川新四郎座へ進出,寛政10(1798)年には立役,実悪ともに極上上吉の位付けを得る。小柄だが音声よく華やかな芸風で,細か過ぎてくどくなるのが難であった。平敵(軽い敵役)を得意とし「おかしみ七分にくみ三分」と評されている。早替わりの妙手で,衣裳に凝った。当たり役は「傾城博多織」の毛剃など。名跡は幕末の4代まである。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』2期
(上野典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報