浦辺粂子(読み)ウラベ クメコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「浦辺粂子」の解説

浦辺 粂子
ウラベ クメコ


職業
女優

本名
木村 くめ

生年月日
明治35年 10月5日

出生地
静岡県 賀茂郡下田町(下田市)

学歴
沼津高女〔大正8年〕中退

経歴
16歳で松井須磨子に憧れ、沼津高女を中退して家出奇術の松旭斎天外一座とともに全国巡業したのち上京、浅草のオペラ小屋、金龍館に入り、田谷力三らのコーラスガールとして舞台に立つ。大正12年、21歳の時、日活京都で旧劇女優としてデビュー。翌年「清作の妻」で性格女優の足場を築く。30代からはフケ役に徹し、脇役として名演技を見せた。主な作品は「赤線地帯」「生きる」「恍惚の人」など。晩年はテレビのバラエティ番組に多く出演した。

受賞
紫綬褒章〔昭和40年〕 大映賞〔昭和27年〕「稲妻」,山路ふみ子映画功労賞〔昭和52年〕,ゆうもあ大賞〔昭和59年〕

没年月日
平成1年 10月26日 (1989年)

伝記
脇役の美学 田山 力哉 著(発行元 講談社 ’96発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「浦辺粂子」の解説

浦辺 粂子
ウラベ クメコ

大正・昭和期の女優



生年
明治35(1902)年10月5日

没年
平成1(1989)年10月26日

出生地
静岡県賀茂郡下田町(現・下田市)

本名
木村 くめ

学歴〔年〕
沼津高女〔大正8年〕中退

主な受賞名〔年〕
大映賞〔昭和27年〕「稲妻」,紫綬褒章〔昭和40年〕,山路ふみ子映画功労賞〔昭和52年〕,ゆうもあ大賞〔昭和59年〕

経歴
16歳で松井須磨子に憧れ、沼津高女を中退して家出。奇術の松旭斎天外一座とともに全国巡業したのち上京、浅草のオペラ小屋、金龍館に入り、田谷力三らのコーラス・ガールとして舞台に立つ。大正12年、21歳の時、日活京都で旧劇女優としてデビュー。翌年「清作の妻」で性格女優の足場を築く。30代からはフケ役に徹し、脇役として名演技を見せた。主な作品は「赤線地帯」「生きる」「恍惚の人」など。晩年はテレビのバラエティ番組に多く出演した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浦辺粂子」の解説

浦辺粂子 うらべ-くめこ

1902-1989 大正-昭和時代映画女優
明治35年10月5日生まれ。奇術の一座や浅草オペラなどをへて大正13年日活にはいり,「清作の妻」「塵境」などで主演。昭和5年の「唐人お吉」のころから脇役,老役(ふけやく)に徹し,「野菊の如き君なりき」「荷車の歌」などで好演した。平成元年10月26日死去。87歳。静岡県出身。本名は木村くめ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浦辺粂子」の解説

浦辺 粂子 (うらべ くめこ)

生年月日:1902年10月5日
大正時代;昭和時代の女優
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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