海会寺(読み)かいえじ

日本歴史地名大系 「海会寺」の解説

海会寺
かいえじ

[現在地名]堺市南旅篭町東三丁

臨済宗東福寺派で南宗なんしゆう寺境内に位置するが、塔頭ではない。山号宿松山、本尊阿弥陀如来。元弘二年(一三三二)前太政大臣洞院公賢が乾峰士曇(広智国師)を開山として創建(「宿松山海会禅寺略記」寺蔵)。乾峰は京都東福寺の開山円爾弁円(聖一国師)の法孫で東福寺や京都南禅寺にも住した高僧である(延宝伝灯録)。公賢の日記「園太暦」観応二年(一三五一)一一月八日条に「禅刹草創号海会寺土木功漸欲成、如此梵宇大檀越与開山同心建立」とあり、開創一〇年後に諸堂が完成した。この時の寺地は開口あぐち神社西門前にあり、同地は海会寺前と俗称されていた。応永一五年(一四〇八)七月二〇日の浄観折紙(開口神社文書)に「堺南庄念仏寺西門前社里十四坪内海会寺前」とあり、東福寺一七四世で五山文学僧としても知られる季弘大叔は、晩年当寺に引退しているが、その日記「蔗軒日録」文明一六年(一四八四)八月一日条には「一流社三村祠祭礼(中略)予出南門一見之」とみえ、念仏ねんぶつ寺・三村みむら(開口神社)のすぐ近くに海会寺のあったことがうかがえる。


海会寺
かいえじ

[現在地名]刈谷市元町

もと町の北、洪積台地の縁辺に位置する。竜雲山と号し、曹洞宗。聖観音菩薩を本尊とする。寺伝によると、応永(一三九四―一四二八)の頃、庭厳門公長老が在住したが、遠州浜松普済ふさい(現浜松市)の利山義聡が留錫した。門公は利山の高徳帰順弟子の礼をとって利山を住持とし、海会寺第一祖とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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