改訂新版 世界大百科事典 「リー族」の意味・わかりやすい解説
リー(黎)族 (リーぞく)
Lí zú
中国の広東省海南島に住む少数民族。黎(れい)族ともいう。人口は約125万(2000)。そのうち90%以上が海南リー(黎)族ミヤオ(苗)族自治州(1952年自治区として成立したが,55年より自治州と改称)に集中し,他は自治州周辺の各地に分散し漢族とともに居住する。自治州の総面積は約1万7900km2。リー族の地域は海南島の中・南西部に位置するが,亜熱帯および熱帯気候に属し,高温多雨,四季常緑である。丘陵と山地が州の面積の約8割を占め,山地と山地の間には大小さまざまの盆地が散在する。リー族の言語は中国の研究者によれば,シナ・チベット語系チワン(壮)・トン(侗)語族リー語支に属し,同じ語族のタイ語系のチワン・タイ(溙)語支との関連が考えられている。一方アメリカの言語学者ベネディクトはリー語が北トンキン(ベトナム)のLaquaとLati,南中国および北トンキンで話されるKelaoとともにカダイKadai語派を形成するとし,この語族がインドネシア語派の基層を示すとともに,タイ諸語とも関連を持つことを主張した。なおリー語にはいくつかの方言があるが,漢族の住地に近接した地域ではみな海南方言の中国語を話すことができるという。元来文字はなく,漢文が使われたが,1957年にローマ字を基礎にしたリー語文字が制定されている。またリー族のなかでは,従来から方言,服装等を異にして侾(ハ),岐あるいは杞(キまたはゲイ),本地(ペンティまたはズン),美孚(モイファウ)の4群の存在が知られている。リー族の祖先は古代の越族とくにそのうちの駱越(らくえつ)と密接な関係があるらしい。また海南島の新石器時代の遺跡や遺物は大陸部の広東省や東南沿海地区と同系統に属するという。海南島は早くから真珠,タイマイの産地として知られ,漢族商人を引きつけていたが,前漢の武帝が2郡を置いてから,漢族の移住者は増加し,彼らとともに鉄器などの先進文化・技術も流入した。以後漢族との長期にわたる接触のうち,リー族社会は発展の機会に恵まれたが,同時に漢文化の強い影響をも受けることになった。
リー族の主要な生業は農業で,温暖な気候と豊富な雨量に恵まれて,水稲,トウモロコシ,サツマイモ等のほか,ゴム,コショウ,アブラヤシ,サイザルアサ,コーヒー等の熱帯経済作物やヤシ,バナナ,パイナップル,マンゴー等の果物を産する。また島の主峰五指山一帯には豊富な森林資源があり,造船用の木材の生産など林業も重要である。リー族の家族は主として夫婦および未婚の子どもからなる小家族である。婚姻は一夫一妻婚で,解放前,男女は一般にみな早婚で,仲人の紹介で父母がとりきめた。同一の祖先より出て,同じ姓を有する父系氏族があり,このなかでは結婚はできない。多くの地区で,婚姻後〈不落夫家〉という習俗が行われていたが,これは夫の家に入った妻が数日にして実家に戻り,そのあいだは夫が通う。そして妊娠してのち夫の家に落ちつくことをいう。伝統的な社会組織の重要な単位は峒(とう)(コム)とよばれるもので,大峒は小峒をいくつか含むが,小峒は一般に一つの血縁集団からなり,いくつかの自然村を含んでいた。また各村,各峒には,村頭,峒長がいた。歴代の漢族の統治者はこの峒を利用してリー族を統治した。解放前,リー族の間では祖先崇拝や自然崇拝が盛んであった。人々は病気になると道公・娘母(じようぼ)と呼ばれる男性に依頼し,家畜を殺し悪霊払いをした。葬儀は各地で異なるが,地域によっては一本の木をくりぬいて棺をつくる。男は村の公共墓地に葬るが,女はそのなきがらを実家に持ち帰って父方の公共墓地に葬る。そのほか風水説に従って場所を選び墓をつくるところがある。祭日は基本的には漢族と同じだが,ただ東方県の3月3日の祭日は比較的顕著な民族色を有している。この日,青年男女は相互に歌をうたい,愛情をかたむけて伴侶を探したずねる。また服飾では,女は髪を頭のうしろで束ね,刺繡のついた頭布をかける。上衣はボタンがなく,うちあわせのない衣服で,胸が開いている。下にはひだのないスカートをはく。首飾り,腕輪,イアリングを好んでつける。男は結った髪を頭にまきつけるが,上衣はえりがなく,胸が開いている。
執筆者:加治 明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報