改訂新版 世界大百科事典 「海水面変化」の意味・わかりやすい解説
海水面変化 (かいすいめんへんか)
sea level change
海水準変動ともいい,海水面が昇降する現象をいうが,一般的には,潮汐の干満や季節的な大潮,台風時の高潮,海底地震で生じる津波などを除外し,地質時代を通して汎地球的な規模で,海水面が変化することをさし,ユースタチック運動eustatic movementともユースタシーeustasyともいう。
海水面の変化は,海水量の変化,あるいは海水の容器にあたる海盆の大きさの変化や陸地の隆起,沈降によって生じるが,これらは複雑に関係しているので,いちがいに要因を決めることは困難である。地球史を通しての海水量の変化については,いくつかの説が出されている。地球の創成期に現在量に達したとする説,あるいは徐々に増大して現在量になったとする説,また,ごく最近の地質時代に急激に増大したという説などである。ことに3番目の説は,太平洋の海底に,波食のため頂上が平たんになった海底火山(ギヨー)が多数発見され,その平たん面の上に中生代白亜紀から新生代第三紀にかけてのサンゴの化石がのっている事実にもとづいている。白亜紀のサンゴ礁をのせるギヨーの深度は2000mであるため,白亜紀以降現在までに海水面が2000m上昇したことになるが,この上昇の原因になると,必ずしも一義的に海水量の増大によるとはいえない。水陸分布の変化(古地理的変化)を生じた地殻運動によって海盆の大きさが変化したという説もあり,この運動は第四紀の前半まで引き続いたといわれている。しかし第四紀の後半にみられる汎世界的な海水面の変化は,まぎれもなく海水量の変化,すなわち地球上の氷河の消長による海水量の増減に基因した運動である。このように氷河の消長に規制された海水面の変化を氷河性海水面変化glacial eustasyという。
現在の陸地をおおう氷河が全部融けたとすれば,その融水が海にもどって,海水面は50~85mほど上昇すると見積もられている。もし気候が寒冷化すれば,海陸間を循環している水分の一部は氷河として陸上に固定され,海にもどらないので海水面は下降する。このようにして,氷河時代(第四紀)の氷期には海水面が下降し,逆に温暖化した間氷期には海水面が上昇した。その結果,この海水面変化は,自然と人類に大きな影響を与えることになった。
海水面が上昇すれば,陸上に海食台が形成されてその上に砕屑物(さいせつぶつ)が堆積する。その後に海水面が下降して,海岸段丘が形成された。一方,海水面の下降によって陸化した海底面は,河川の作用を受けて谷が刻まれ,その後の海水面上昇で,再び海水面下に没して大陸棚となった。したがって縁海の好漁場となっている大陸棚の海底谷は,現在の陸地の河川系に接続しているのである。
日本における最終氷期以降の海水面変化
日本列島と大陸との間を隔てている海峡は,低海水面時の氷期には陸化して,大陸と列島をつなぐ陸橋land bridgeとなり,生物や人類が往来した。最終氷期(ウルム氷期)初頭には,シベリアからマンモスが北海道に渡来し,同じ動物群のヤギュウやヘラジカは本州まで南下した。また,中国北部からは,黄土動物群のナウマンゾウやオオツノシカが,人類(旧人)といっしょに渡来した。3万年前以降は,そのような往来が活発となり,現在本州にいるおもな哺乳動物には,この時期に移住したものが多いといわれる。2万年前のウルム氷期極寒期を過ぎると,海水面は上昇をはじめ,陸橋はつぎつぎと海水面に没して海峡となり,日本列島は大陸から切り離されていった。その結果,退路を断たれた北方系の動植物は,絶滅するか高山の冷温帯~亜寒帯へと移住した。カモシカやライチョウ,高山植物は,こうして残存した氷河時代の遺存種である。
海峡の深度は,切り離された時期の新旧を示し,浅いほどおそくまで陸続きだったことになる。舟がなかった旧石器時代の人類(新人)は,陸橋を伝って大陸から移住し,日本全国に多くの旧石器を残したが,ベーリング海峡に存在した陸橋を渡って,北米大陸へも移住した。
沖積世に入って気候が暖化すると,急速に海水面が上昇し,縄文時代前期(前5000年ころ)には最高位に達して,海岸地域の内陸深くまで海が進入した。この海進を,縄文海進と呼んでいる。その後,海岸線は現在の位置まで後退したが,あとには広大な海岸平野や沼沢地,泥炭地,あるいは砂丘が残された。生産活動の舞台となっている海岸平野の地下は,このような海水面変化の歴史を秘めており,新しい地層の軟弱地盤によって形成されているので,工場などで過剰揚水をすれば,地層が収縮して,地盤沈下などを発生する。
→海進 →海退 →氷河時代
執筆者:郷原 保真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報