正徳新例(新令)ともいう。1715年(正徳5)1月幕府が下した新井白石の立案になる長崎貿易の制限令23通と,これをうけて出された長崎奉行大岡備前守(清相)名の細則の総称。おもな内容は,(1)改革に関する奉行以下の諸役人・長崎町民・外国人への諭示,(2)唐船は従来の年59艘・取引銀高1万1000貫目を,30艘・6000貫目(最大限9000貫目)・銅渡し高300万斤に減じ,通商許可証として〈信牌〉を給す,(3)オランダ船は年2艘・金5万両(銀3000貫目)・銅渡し高150万斤で,ほぼ従来どおり,(4)輸入品の評価は商人の入札制をやめ,長崎会所役人等の査定価格を基礎に協議する〈値組み〉,である。当時の輸出銅の不足に伴う貿易渋滞・不法激増を一掃すべく,銅の輸出能力に見合った貿易規模に縮減し,貿易利銀の減少に応じた長崎会所財政の健全化,つまり直轄都市行財政の緊縮をはかった画期的な改革で,享保の幕政改革に継承された。
執筆者:中村 質
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1715年(正徳5)江戸幕府が制定した長崎貿易に関する条例。「正徳(しょうとく)の新令」ともいう。貿易額・来航船数その他総合的に貿易規則を定めた。来航唐船(中国船)は1年間30艘(そう)に限り、貿易銀高6000貫目、うち銅を300万斤。オランダ船は年2艘、銀高3000貫目、うち銅150万斤。唐船に対してはさらにその出航地域によって船数を定め、この条例に従うことを誓約した者に入港許可の割符(わりふ)を渡す。長崎地下人(じげにん)(住民)には貿易利金として定額金7万両を支給(地下配分金)。貿易商人には輸出品買入前金として1万5000両を貸し付けることなどを主内容とする。貿易制限は1685年(貞享2)から強化されたが、そのため密貿易も行われ、また輸出すべき銅の長崎廻送も円滑を欠き、長崎地下人の窮乏を招くに至った。そこで新井白石(あらいはくせき)が努力して、この条例を発布したのである。以後、長崎貿易の基本方針として文政(ぶんせい)(1818~30)末年にまで及んだ。
[辻 達也]
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…しかし大坂登銅が減少したため12年(正徳2)銅座を廃止,長崎御用銅500万斤として大坂銅吹屋仲間17人に請け負わせることとした。さらに銅産は減少し,海舶互市新例(かいはくごししんれい)(1715)の輸出銅定高450万斤(うちオランダ150万斤,中国300万斤)も確保できなくなったため,幕府は1738年(元文3)大坂に銅座を再興し,いっさいの産銅を大坂銅座が独占購入すること,地売銅と長崎輸出銅とのふりわけは出銅高に応じて銅座が決定すること,各鉱山は翌年の年間産銅計画を毎年銅座に申告すること,銅からの絞銀冶金(南蛮絞り)は大坂銅吹屋仲間の独占とすること,などを定めた。長崎輸出銅値段は74年(安永3)の記録によると定高の銅について1ピクル(100斤)当り,中国向けには銀115匁,オランダ向けには銀60匁25と定められていた。…
※「海舶互市新例」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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