涌谷町(読み)わくやちよう

日本歴史地名大系 「涌谷町」の解説

涌谷町
わくやちよう

面積:八二・一三平方キロ

標高二〇〇―二二〇メートル前後で東西に延びる篦岳ののだけ丘陵を中央に、北・東麓ははさま川、南麓は江合えあい川によって形成された沖積平野が広がり、標高三―八メートルの水田は仙北平野の穀倉地帯をなす。迫川・江合川はそれぞれ東流して旧北上川に合流。北は登米とめ米山よねやま町・豊里とよさと町、東は江合川が旧北上川に合流する地点で桃生ものう桃生町・河南かなん町、南は南郷なんごう町、西は田尻たじり町・小牛田こごた町。交通は石巻線が南部を東西に通り、また古くから石巻いしのまきへ至る道筋である国道一〇八号と、気仙沼けせんぬま方面と仙台を結ぶ国道三四六号が市街地の中心部で交差している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「涌谷町」の意味・わかりやすい解説

涌谷〔町〕
わくや

宮城県中部,篦岳 (ののだけ) 丘陵の南北にまたがる町。 1889年町制。 1955年篦岳村と合体。中心地区の涌谷は,江合川にのぞみ,鎌倉時代渋谷氏が居城,その後大崎氏の一族涌谷氏,仙台藩時代には亘理 (わたり) 氏,伊達安芸が居城した古くからの城下町。北は迫 (はさま) 川,南は江合川の形成する沖積平野で米作,野菜栽培のほか,畜産が盛ん。篦岳 (236m) 山頂には観音堂があり,西麓の黄金迫 (こがねはざま) には天平 21 (749) 年金を朝廷に献上したと伝えられる黄金山神社,史跡黄金山産金遺跡,史跡長根貝塚がある。 JR石巻線が通り,国道 108号線と 346号線が交差している。面積 82.16km2。人口 1万5388(2020)。

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