坪内逍遥の小説論。1885-86年刊。上巻は小説の原理論,下巻はその技法論を論じている。従来日本の小説は,戯作(げさく)の名のもとに漢詩文や和歌よりも品格の劣るものと見なされてきたが,これに対し文明社会では,文学の諸ジャンルの中でもっとも進化した形態とされ,芸術として重んじられていた。西洋におけるこうした小説の役割を基準に,日本の小説は改良されなければならないとして提唱されるのが,人情及び世態・風俗の模写,すなわち写実主義の理論である。とりわけ,〈外面(うわべ)に見えざる衷情(したごころ)をあらはに外面(おもて)に見えしむべし〉とあるように,不可視の〈人情〉を心理学に即して視覚化する描写の意義に力点がおかれている。構成論,文体論を含む下巻は上巻より微温的であるが,総体としては,小説の自律性の名のもとにその思想性が切りすてられているものの,近代写実主義小説の路線をひらいた史的意義は大きい。
執筆者:前田 愛
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坪内逍遙(しょうよう)の小説論。1885年(明治18)9月~86年4月、松月堂刊。全9冊。86年5月、上下2巻の合本刊行。著者名坪内雄蔵。東京大学時代からの小説探求をイギリスの諸文献、『ブリタニカ』などから得た知識をもとに組織した日本最初の体系的小説論である。上巻は原理編。人知と文化の発達とともに発達してきた文学の頂点にたつ小説、その小説によって可能となる人間世界の観察、という基本認識を通し、小説の自立と必要を強調した。全5章の中心が「小説の主眼」。「人情」の模写を通して人生の因果の理法と人間界の構造を照出し、人生批評たらしめるという主旨は、近代小説の骨格をとらえている。下巻は技術編。文体、脚色、主人公論など6章。小説という虚構を描写の真実性で支える配慮が潜在している。日本近代小説展開の導因となったが、人間心理の描出をもって人間世界の深さを計ろうとする理論深度に、不変の意義がある。
[中村 完]
『『現代日本文学大系1 坪内逍遙他集』(1971・筑摩書房)』
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近代最初の本格的な小説論。坪内雄蔵(逍遥)著。1885~86年(明治18~19)松月堂刊。当時の小説の盛行をふまえながら,それらは「馬琴種彦の糟粕ならずは一九春水の贋物」だとし,その理由を「意を勧懲に発するをば小説稗史の主脳とこゝろえ」ているせいだとする。小説を婦女童幼の玩弄物とみなす誤りから救うために,美術全体のなかに位置づけなおし,さらにロマンスからノベルへの変遷を演劇との関連においておさえ,「小説の主脳は人情なり世態風俗これに次ぐ」という宣言を掲げたことで有名。人間の内面を模写(写実)することによって「人情をば灼然として見えしむる」小説を,文学の究極的な形態とする価値転換をはかった。
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…これを〈言文一致〉という名称で論じたのは,1886年物集高見(もずめたかみ)の著《言文一致》である。当時すでに,かなや,ローマ字の国字主張が盛んで,一方に三遊亭円朝の講談速記がもてはやされており,文章の方面でも同年に矢野文雄の《日本文体文字新論》,末松謙澄の《日本文章論》が出,文芸の上でも坪内逍遥の《小説神髄》など新思潮の動きが活発で,これらの情勢がようやくいわゆる言文一致体の小説を生んだ。1887‐88年ころあいついだ二葉亭四迷の《浮雲》,山田美妙の《夏木立》などがこれである。…
…清田儋叟(せいだたんそう)の《昭世盃》序(1765)は,そのはやいものの一つであるが,近代小説との関連では,馬琴が自作の中でたびたび言及している小説論が注目される。たとえば,〈蓋(けだし)小説は,よく人情を鑿(うがつ)をもて,見る人倦(あか)ず〉(《八犬伝》巻五)は,はるかに《小説神髄》の主張と呼応するところがある。しかし,架空の言に勧懲の意を寓するところに,馬琴が小説の効用を求めていたことはいうまでもない。…
…1883年東大政治学科卒。在学中に《春風情話》(スコット原作)の翻訳を手がけるなど,西洋文学への関心をたかめていくうちに,東西の小説観の落差を自覚,85年から86年にかけて《小説神髄》を発表して,写実主義小説の路線を設定するとともに,文学の自律性を説いた。ついでその理論の応用編ともいうべき《当世書生気質(かたぎ)》(1885‐86)をはじめとして,《新磨(しんみがき) 妹と背かゞみ》《内地雑居 未来の夢》などの作品を公にするが,二葉亭四迷との邂逅(かいこう)をきっかけに,自己の創作方法に疑問をもつようになり,89年の《細君》を最後に小説の筆を折った。…
…風俗描写に主眼を置いたとみられる小説。海外の文学にもその例は少なくないが,日本では坪内逍遥が《小説神髄》(1885‐86)に〈小説の主脳は人情なり,世態風俗これに次ぐ〉と唱えたことから風俗小説のあり方が問題とされる。なかでも中村光夫の《風俗小説論》(1950)は,その系統を小栗風葉の《青春》(1905‐06)あたりから探って,日本の近代小説のゆがみを指摘したものとして知られる。…
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【大きな類型としての文体】
日本語の文章論においては昔からさまざまの〈……体〉と呼ばれるような大きな文体類型が考えられていた。その典型的な例をあげてみるなら,たとえば坪内逍遥は《小説神髄》内の文体論において,文学的文体は〈雅文体〉〈俗文体〉〈雅俗折衷体〉の3類である(そして雅俗折衷体はさらに〈稗史体(はいしたい)〉と〈艸冊子体(くさぞうしたい)〉に分けられる)と説明していた。これは分類法の一例にすぎず,古来,さまざまの視点から,〈和文体〉〈漢文体〉〈和漢混淆体〉〈候文体〉〈美文体〉などと,おびただしい文体の類型が名づけられてきた。…
※「小説神髄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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