清色(読み)セイショク

デジタル大辞泉 「清色」の意味・読み・例文・類語

せい‐しょく【清色】

澄んだ色。ある色相の純色、および純色に白または黒のみを加えた色。→濁色

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「清色」の意味・読み・例文・類語

せい‐しょく【清色】

〘名〙 澄んだ色。有彩色うちで、彩度が高く澄んだ色。特に、純色、および純色に白または黒を加えた色。色立体の一番外側にくる色。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「清色」の解説

清色
きよしき

入来院内の地名。清敷とも記す。清色村・清色郷・清色名ともよばれた。入来川(上流部は前川内川・後川内川に分れる)に沿った地域で、現入来町浦之名うらのみよう副田そえだの南部にあたる。宝治元年(一二四七)千葉氏に代わって入来院地頭となった入来院渋谷氏の本拠地。浦之名後迫うしろざこに築かれた清色城がその本城で、入来院氏は清色殿ともよばれた。建長二年(一二五〇)一二月日の入来院内村々田地年貢等注文(入来院文書、以下断らない限り同文書)に「きよしき」村とみえ、副田・市比野いちひのと合せた三村で六一町三反余(荒田二町八反余・皆損八反余)水田があり、副田とともに領家へ一二石五斗弱、国司へ一五石四斗弱を納めた。

〔地頭入来院氏〕

当地は入来院初代定心から明重へ伝えられ、明重は清色郷を北方きたかた(五分の三)南方みなみかた(五分の二)に分割し、文永二年(一二六五)八月三日北方を有重に譲った(渋谷善心譲状)。その後、北方は有重から甥重基(弘安三年五月八日渋谷正善譲状)、重基から重勝(康永二年二月八日および貞和二年一一月二六日渋谷定円譲状)、重門と(貞和五年閏六月二三日渋谷重勝譲状)、入来院氏惣領に相伝された。南方は明重からおそらく子息致重、その娘弥陀童女(尼顕心)へ譲られ、重基と結婚した弥陀童女から重基の養子となった重勝へ、さらに貞和五年(一三四九)に重勝から子息重継へと相伝された(同年閏六月二三日渋谷重勝譲状案など)。ただし重勝は文和四年(一三五五)南方のうちの本村(清色村)を子息(入来院氏系図では孫)将重に譲っている(同年四月八日渋谷重勝譲状案)。なお前掲文和四年渋谷重勝譲状には、南方のうち本村の弥藤四郎入道在家を清色といい、清色という村名が惣領の名字となり、村内に塚を築いて廟を建てたとある。該地は現副田元村そえだもとむら諏訪神社付近と推定され、入来院氏初代渋谷定心入部時の最初の拠点であった可能性がある。清色村を除く南方は重継から兄の重成(重宗)へ譲られたらしく、貞治七年(一三六八)重成から子息松丞丸へ譲られている(同年八月六日渋谷重成譲状案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android