渡辺了慶(読み)わたなべりょうけい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

渡辺了慶
わたなべりょうけい

[生]?
[没]正保2(1645).2.15.
桃山時代~江戸時代初期の画家。氏は渡辺,のち狩野姓を許された。画史画伝類には了桂,了敬,あるいは量慶とも記す。狩野興以と同じく狩野光信門弟。子の了之は興以の女婿水墨を基調とした禅宗祖師図や山水人物図などが多いが,金碧の源氏絵屏風なども描く。西本願寺書院画など障壁画も制作した。晩年平戸に住み,松浦藩御用絵師をつとめたともいわれる。主要作品『源氏絵屏風』 (福田寺) ,『禅宗祖師図屏風』 (建仁寺両足院) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

渡辺了慶 わたなべ-りょうけい

?-1645 織豊-江戸時代前期の画家。
狩野光信(かのう-みつのぶ)の高弟。光信,狩野興以(こうい)とともに京都高台寺の障壁画を制作。代表作に西本願寺対面所・白書院障壁画。晩年は肥前平戸藩の御用絵師になったという。正保(しょうほ)2年2月15日死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

渡辺了慶

没年:正保2.2.15(1645.3.12)
生年:生年不詳
桃山後期・江戸初期の画家。のちに狩野氏を称す。出羽国(山形・秋田県)の人で,藩に仕えていたが,京都に出て狩野光信に画法を学んだ。慶長10(1605)年,師の光信や狩野興以らと高台寺の障壁画を描く。晩年,平戸松浦藩(長崎県)の御用絵師になったものと推定されている。享年は明らかでないが,江戸の種徳寺に葬られた。代表作に西本願寺対面所白書院や東福寺普門院の障壁画,「源氏物語図屏風」(福田寺蔵)などがある。<参考文献>土居次義『近世日本絵画の研究』,同「狩野永徳・光信」(『日本美術絵画全集』9巻)

(河野元昭)

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世界大百科事典 第2版の解説

わたなべりょうけい【渡辺了慶】

?‐1645(正保2)
狩野派の画家。狩野光信門人の中でも狩野興以に次ぐ高弟の一人とされる。1606年(慶長11)光信,興以とともに高台寺障壁画を制作し,妙心寺退蔵院,東福寺普門院,滋賀院等の障壁画も彼の筆と推定される。とくに17年以後の西本願寺の復興において中心的画家として活躍した。晩年は,平戸松浦藩の御用絵師になったと伝えられる。【安村 敏信】

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