渡辺了慶(読み)わたなべりょうけい

改訂新版 世界大百科事典 「渡辺了慶」の意味・わかりやすい解説

渡辺了慶 (わたなべりょうけい)
生没年:?-1645(正保2)

狩野派画家狩野光信門人の中でも狩野興以に次ぐ高弟の一人とされる。1606年(慶長11)光信,興以とともに高台寺障壁画制作し,妙心寺退蔵院,東福寺普門院,滋賀院等の障壁画も彼の筆と推定される。とくに17年以後の西本願寺復興において中心的画家として活躍した。晩年は,平戸松浦藩御用絵師になったと伝えられる。
筆者

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「渡辺了慶」の意味・わかりやすい解説

渡辺了慶
わたなべりょうけい

[生]?
[没]正保2(1645).2.15.
桃山時代~江戸時代初期の画家。氏は渡辺,のち狩野姓を許された。画史画伝類には了桂,了敬,あるいは量慶とも記す。狩野興以と同じく狩野光信門弟。子の了之は興以の女婿水墨を基調とした禅宗祖師図や山水人物図などが多いが,金碧の源氏絵屏風なども描く。西本願寺書院画など障壁画も制作した。晩年は平戸に住み,松浦藩の御用絵師をつとめたともいわれる。主要作品『源氏絵屏風』 (福田寺) ,『禅宗祖師図屏風』 (建仁寺両足院) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「渡辺了慶」の解説

渡辺了慶 わたなべ-りょうけい

?-1645 織豊-江戸時代前期の画家。
狩野光信(かのう-みつのぶ)の高弟。光信,狩野興以(こうい)とともに京都高台寺の障壁画を制作。代表作に西本願寺対面所・白書院障壁画。晩年は肥前平戸藩の御用絵師になったという。正保(しょうほ)2年2月15日死去。

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