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狩野興以 かのう こうい

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美術人名辞典の解説

狩野興以

江戸前期の狩野派の画家。下野国足利生。姓は松屋、名は定信、字は中里、別号に興意、通称弥左衛門、のち刑部少輔と称する。狩野光信の高弟。紀州の徳川家に仕え、のち法橋に叙せられる。牧溪や雪舟等の水墨画の古典的画法を研究し、人物・山水、草花等を能くした。光信の弟孝信の三子探幽・尚信・安信の指南を託され、その功を以て狩野の名を許された。寛永13年(1636)歿。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

狩野興以 かのう-こうい

?-1636 織豊-江戸時代前期の画家。
狩野光信の弟子。光信の弟孝信の子探幽,尚信,安信の教育にあたり,狩野派内に重要な地歩をしめる。元和(げんな)5年(1619)内裏女御御所対面所,寛永3年二条城行幸御殿などの障壁画制作に参加。紀伊(きい)和歌山藩主徳川家の御用絵師をつとめ,法橋(ほっきょう)となった。寛永13年7月17日死去。下野(しもつけ)(栃木県)出身。名は定信。字(あざな)は中里。通称は弥左衛門,弥兵衛。作品に「山水図屏風」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

狩野興以

没年:寛永13.7.17(1636.8.17)
生年:生年不詳
桃山時代の画家。狩野光信の門人のうち,最も優れた弟子のひとり。下野国(栃木県)足利に生まれる(武蔵国説も)。江戸狩野の基礎を築いた探幽,尚信,安信の3兄弟の指導・育成に当たり,その功績で狩野の姓を許されたと伝える。光信や同門の渡辺了慶と共に,高台寺大方丈の障壁画(1605)などを描いた。水墨画の古典的な画法を会得した堅実な表現が,興以の作風の特色になっている。紀州徳川家の絵師となったが,長子の興甫がこれを継ぎ,次子の興也は水戸徳川家に,3男の興之は尾張徳川家に仕えた。代表作に二条城白書院の障壁画群の他,「観音・竜虎図」(長野建福寺蔵)などがある。

(小川知二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

かのうこうい【狩野興以】

?‐1636(寛永13)
桃山~江戸初期の画家。狩野光信の門人でのちに江戸狩野の中核をなす探幽,尚信,安信(いずれも孝信の子)の薫育を託されたと伝えられ,その堅実な画風は狩野派の進むべき方向を示唆したと思われる。二条城白書院(1626),等持院方丈に障壁画が伝わるほか,《山水図屛風》(東京国立博物館),《観音竜虎図》三幅対(長野,建福寺),《梅松図屛風》(ホノルル美術館)などの遺品がある。召されて紀州徳川家の絵師となり,その子興甫と興也の家系はそれぞれ歴代紀州,水戸両徳川家の絵師として活躍した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

狩野興以
かのうこうい

[生]?
[没]寛永13(1636).7.17. 江戸
桃山時代後期~江戸時代初期の画家。下野国足利の人。本姓不詳。京都に出て狩野光信に師事,のち狩野姓を許される。光信,孝信の没後は長老として狩野派を支え,孝信の委嘱で子の探幽,尚信,安信に画法を伝え薫育したことで有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

狩野興以
かのうこうい
(?―1636)

桃山後期の画家。豊臣(とよとみ)秀吉の夫人北政所(きたのまんどころ)が、秀吉の没後その冥福(めいふく)を祈るために創建した京都・高台寺(こうだいじ)の障壁画(しょうへきが)制作に狩野光信(みつのぶ)、渡辺了慶とともに参加したことが知られ、光信のもっとも優れた弟子の一人に数えられる。牧渓(もっけい)や雪舟に私淑し、水墨画の古典的画法にも通暁した興以が果たした最大の功績は、光信の弟孝信(たかのぶ)の遺児守信(探幽(たんゆう))、尚信(なおのぶ)、安信3兄弟の後見としてその指導にあたったことで、彼は江戸狩野様式の形成に大いに貢献した。そうした功績ゆえか、のち紀州徳川家に絵師として仕え、また法橋(ほっきょう)にも叙せられた。寛永(かんえい)13年7月17日没。種徳寺(東京都港区赤坂)に葬られた。代表作に、二条城二の丸御殿白書院障壁画、『山水図屏風(びょうぶ)』(東京国立博物館)、『観音竜虎(かんのんりゅうこ)図』(建福寺)などがある。[榊原 悟]
『土居次義著『日本美術絵画全集9 狩野永徳・光信』(1981・集英社)』

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