2国間や複数国の間で関税や規制を撤廃するなどし、工業品や農産物の自由な取引をしようとする動きが広がっている。輸出増による国内産業の活性化や輸入品価格の低下が期待できるためだ。代表的な枠組みとして、関税の撤廃や引き下げが主な目的の自由貿易協定(FTA)や、知的財産権の保護規制など、より幅広い分野が対象となる経済連携協定(EPA)がある。環太平洋連携協定(TPP)もEPAの一種と言える。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
広義には,関税や非関税障壁を撤廃し自由貿易の実現を目指す政策の施行をいう。狭義には,国際収支上の理由によって輸入制限を行うことを認めたGATT(ガツト)12条国から,これを認めない11条国になることに伴って行われる貿易自由化政策の実施をさす。
第2次大戦後の国際経済秩序の再建にあたって,〈自由・無差別,多角,互恵〉の原則がGATTで基本的に採用された。しかしGATT体制の自由化は,貿易取引へのすべての政策的介入を排除するということではなく,加盟各国の国内経済の安定がまず優先されており,条件付きないし一定の枠内での自由化である。たとえば,国際収支上の困難をかかえる発展途上国の多くは,12条の規定によって輸入数量制限を行っている。また11条の適用をうける先進国についても,GATT総会の2/3の議決があれば自由化義務を免除されて輸入数量制限を続けることもできる(ウェーバー条項)。輸入の急激な増加が特定産業に被害を与えた場合には,緊急退避として一時的な輸入制限を行うことを認めたGATT19条のセーフガードも重要な例外規定である。
GATT体制のもとでの先進諸国の貿易自由化は段階的に行われた。まず1950年代の後半には,西欧諸国で相ついで通貨の交換性回復と輸入許可制や輸入割当制といった直接統制の撤廃が行われた。これよりやや遅れて,日本でも60年以降に貿易自由化が進められ,63年にはGATT11条国となり,翌64年にはOECDへの加盟と原則的に為替取引を自由に行うIMF8条国への移行を決めた。60年代の貿易自由化は関税の引下げを中心に進展したが,なかでも63年に始まり67年に妥結したケネディ・ラウンド関税一括引下げ交渉は,それまでの多角的貿易交渉のうち最も大がかりなもので,鉱工業製品の関税率は平均33%引き下げられるという画期的な成果をあげた。次いで71年に始まる新国際ラウンド(東京ラウンド)では,関税引下げのほか非関税障壁の軽減撤廃や農産物貿易の自由化問題がとりあげられることとなった。しかし実際の交渉経過は,アメリカの指導力の低下や73年秋の石油危機とその後の対応に各国政府が追われたこと等によって難航し,ようやく79年4月に実質的な合意に達した。先進諸国が深刻な不況と失業率の上昇に悩みながらも,自由貿易の維持強化のために妥結にこぎつけたことは一応は評価される。しかし一方では,GATT枠外での輸入制限である輸出自主規制を行ったり,市場秩序維持協定を2国間で結ぶケースがふえている。したがって緊急輸入制限(セーフガード)についての制度的補強が今後に残された課題である。
日本は1960年に貿易・為替自由化大綱を発表し,自由化の推進が世界経済の発展に必要であり日本経済自体の課題であることを認めた。当時の貿易自由化の内容は,輸入数量規制といった直接的な政府介入から関税を主体とする間接的なものへの移行であって,本格的な貿易障壁の軽減撤廃が進むのは68年ころからである。貿易自由化が急速に進められるようになったのは,まず日本の国際収支,なかでも貿易収支が黒字基調となり,もはやこれまでのように外貨を確保するために輸入を抑制する必要がなくなったためである。しかも,その後拡大を続けた対米貿易収支の黒字は日米貿易摩擦の引金となり,アメリカのみならずヨーロッパ諸国からも市場開放圧力が強まった。その結果,残存輸入制限品目の急減を中心に輸入自由化が進んだ。さらに71年末に円が切り上げられたにもかかわらず黒字幅がさらに拡大したので,円切上げ回避のため一層の自由化措置がとられ,鉱工業製品輸入について関税の20%一律引下げが行われた。この引下げで日本の関税水準はほぼ他の先進国なみとなった。新国際ラウンド合意による関税の引下げが行われると,日本の鉱工業製品の平均税率は3%前後となり,先進諸国のなかでも最も関税水準の低い国となる。
日本の貿易自由化で残された問題は,実際に輸入を行う際の規格・検査や通関手続といった,いわゆる非関税障壁をどのように取り除いていくかにある。いま一つは,農産物の貿易自由化をいかに進めるかである。日本の農業は耕地面積の狭さもあって生産性が低く,比較劣位にあることは明らかである。貿易自由化の進展に伴って,農産物輸入の拡大と食糧自給率の低下がおきてはいるが,国内の農産物価格は依然として国際価格よりも割高であり,農業に対しては製造業にくらべ手厚い保護が行われてきた。このためアメリカをはじめ農産物輸出国からは強く自由化を求められ,1980年代には牛肉・オレンジの自由化が日米間の懸案となったが,88年に91年4月よりの自由化(オレンジジュースは1992年4月から)で決着した。米についてもウルグアイ・ラウンド農業交渉の決定を受けて95年4月から米輸入(部分開放,ミニマム・アクセス)が開始された。
→自由貿易
執筆者:佐々波 楊子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…イギリスでは,1786年に英仏通商条約(イーデン条約)が結ばれ,1846年には保護貿易主義の核心であった穀物法が廃止されるとともに自由貿易時代へと突入する。すでに1834年にはドイツ関税同盟が成立しており,60年の英仏自由通商条約(コブデン=シュバリエ条約)以降,つぎつぎと通商条約,関税協定が結ばれ,ヨーロッパ各国へ貿易自由化の波が広がっていった。英仏自由通商条約は,最恵国条項(最恵国待遇)が採り入れられ,差別関税が防止された点でとくに重要である。…
※「貿易自由化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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