日本歴史地名大系 「満照寺」の解説 満照寺まんしようじ 福島県:いわき市旧田人村地区黒田村満照寺[現在地名]いわき市田人町黒田 別当別当(べつとう)川左岸の字別当にあり、明王山と号し、真言宗智山派。羽黒山満照寺はもと唐沢(からさわ)にあったが、焼失して廃寺となる。また御斎所熊野(ごさいしよくまの)神社別当であった明王山大聖(だいしよう)寺も別当地区で焼失したため、後世の再興にあたり、別当の地に山号を大聖寺から、寺号を満照寺からとった。これは羽黒系・熊野系修験の一体化を示している。境内にある不動堂は黒田(くろだ)不動堂ともよばれ、江戸時代初期の様式をもつ三間堂で華麗な彩色が残り、県指定重要文化財。 満照寺まんしようじ 長野県:更埴市小島村満照寺[現在地名]更埴市小島村の東、一重(ひとえ)山の山麓にある。上野国碓氷郡桂昌寺末。明月山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。口碑によれば大永二年(一五二二)二月屋代越中守の開基、僧惣田の開山という。嘉永三年(一八五〇)一二月佐久間象山は門弟金子忠兵衛の鋳造した「五十斤石衝天砲」の試射を生萱(いきがや)村(現更埴市生萱)で行った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報