日本歴史地名大系 「黒田村」の解説
黒田村
くろだむら
木之本村の北西、南流する
貞治五年(一三六六)五月二一日の直仁親王令旨(妙心寺文書)に「伊香庄内黒田郷」とあり、京都妙心寺に寄進された。応永一九年(一四一二)九月一四日の銘をもつ大沢寺(現観音堂)の鐘には、大沢寺観音堂修理田として付された成国名内三反半のうち、二反が鐘撞給であると刻されている。同寺は領家方・地頭方両方の村人によって経営されていた。長禄年中(一四五七―六〇)の室町将軍家御教書(妙心寺文書)によれば黒田郷領家職は京都南禅寺
黒田村
くろだむら
- 三重県:名張市
- 黒田村
名張川を隔てて
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
- 静岡県:富士宮市
- 黒田村
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
桑田郡の東部、
村の成立は確証がないが、
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
- 愛知県:新城市
- 黒田村
慶長九年(一六〇四)の検地帳では、田三〇町六反余・三四七石余、畑一〇町余・一〇七石余、屋敷(三三筆)二四石余の村。
黒田村
くろたむら
- 岩手県:宮古市
- 黒田村
宮古村の北に位置。
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
文禄検地帳(徳川林政史蔵)に村名がみえ、田畑屋敷合せて二〇町八畝一五歩、分米二四七・三六六石、うち田は一三四・六五石とある。江戸時代は和歌山藩白子領となり、小船江組に属した。元禄一一年(一六九八)
黒田村
くろだむら
慶長検地高目録によると高四六六石余。宮組に属し、「続風土記」は高六二〇石余、家数四四、人数一八〇、村内に
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
明石川中流の右岸に位置し、南西は
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろたむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
黒田村
くろたむら
黒田村
くろだむら
免田村の南西部にある。建久二年(一一九一)五月三日の良峯師高所領譲状案(平河文書)に「同郡同庄之内黒田之村田地三十九町五反百石 四十貫」とある。永享一〇年(一四三八)三月一〇日の免田平河分坪付帳(免田文書)には「
黒田村
くろだむら
黒田村
くろだむら
- 静岡県:掛川市
- 黒田村
黒田村
くろだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報