源兼忠(読み)みなもとのかねただ

朝日日本歴史人物事典 「源兼忠」の解説

源兼忠

没年承元3.3.17(1209.4.22)
生年永暦1(1160)
鎌倉初期の公卿壬生中納言と号す。権中納言源雅頼と中納言藤原家成の娘の子。養父は右少弁源俊定。乳母の夫は源頼朝の近習であった中原親能侍従,弁官,蔵人頭を経て大和守,近江守,周防権守,備中権守を兼任,後白河院庁別当ともなる。建久9(1198)年正三位,建仁2(1202)年権中納言となるが,翌年罷官。建永1(1206)年ごろにはすでに精神に異常を来しており,誇大妄想に駆られしばしば奇矯な行動が見られたという。

(櫻井陽子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源兼忠」の解説

源兼忠(1) みなもとの-かねただ

901-958 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
延喜(えんぎ)元年生まれ。貞元(さだもと)親王の第1王子。母は藤原基経(もとつね)の娘。臣籍にはいり,源姓をあたえられた。清和源氏別流。正四位下,参議兼治部卿。養子にした甥(おい)の重之(しげゆき)は歌人として知られる。天徳2年7月1日死去。58歳。

源兼忠(2) みなもとの-かねただ

1160-1209 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
永暦(えいりゃく)元年生まれ。源雅頼の次男。母は藤原家成の娘。文治(ぶんじ)4年(1188)参議。正三位にすすみ,権(ごんの)中納言で致仕。壬生(みぶ)中納言とよばれた。晩年精神に異常をきたしたという。承元(じょうげん)3年3月17日死去。50歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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