濮議(読み)ぼくぎ(英語表記)Pú yì

改訂新版 世界大百科事典 「濮議」の意味・わかりやすい解説

濮議 (ぼくぎ)
Pú yì

中国北宋代の政治問題。第4代仁宗皇帝(在位1022-63)には嗣子がなく,濮安懿王(ぼくあんいおう)の子趙曙(ちようしよ)を養子とし,仁宗没後,趙曙が英宗となった。そこで,英宗の実父故人の濮王にどのような祭典上の資格を与えるかが問題となった。皇帝の直系系統からはずれているから実父を伯父と呼べなどの意見まで現れた。欧陽修司馬光らは二大陣営に分かれて論陣をはり英宗一代を空費する議論が展開された。結局,単に親と呼ぶことに決着したものの,この過程党派を形成して論争がなされたため,党争を激化させることになった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「濮議」の意味・わかりやすい解説

濮議
ぼくぎ
Pu-yi; P`u-i

中国,北宋の英宗の実父濮王の処遇をめぐる宮廷論議。第4代皇帝仁宗が嘉祐8 (1063) 年に没し,次いで即位した英宗は仁宗の実子ではなく濮王の子であったので,濮王 (すでに死亡) をどのように処遇すべきかの典礼問題が生じた。皇親と称すべきであるとの論,それを非なりとする論などが出て,司馬光欧陽修曾鞏らが互いに争った。

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