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典礼問題 てんれいもんだいRites Controversy

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

典礼問題
てんれいもんだい
Rites Controversy

中国,清初にキリスト教布教法をめぐって起された論争。明末以降,キリスト教の布教は,イエズス会宣教師によって進められていた。彼らは祭天の儀や孔子礼拝,祖先崇拝などを認め,洗礼儀式などの省略を認めるような妥協策をとって効果をあげた。のちに渡来した宣教師は,このような妥協を排し,イエズス会をローマ教皇に提訴した。教皇はイエズス会の布教法を否認したが,イエズス会士もまた教皇に提訴するに及んで,次の教皇はこれを認めるなどその態度は明確でなかった。イエズス会士は康煕帝の上諭を添えて教皇に弁明を重ねたが,教皇インノケンチウス 12世は,ついにイエズス会士の布教法を禁じた。怒った康煕帝はイエズス会士以外の宣教師の布教を禁じ,その追放をも命じた。こうして問題は帝と教皇との対立となり,キリスト教の全面禁止へと進むようになった。

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デジタル大辞泉の解説

てんれい‐もんだい【典礼問題】

カトリック教会清朝中国での布教に際して、中国の信者に対して伝統的な祖先崇拝・孔子崇拝などの儀礼典礼)をどの程度認めるかについて行われた論争。教皇が典礼への参加を禁止したため、雍正帝のキリスト教布教の全面的禁止に発展した。

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百科事典マイペディアの解説

典礼問題【てんれいもんだい】

英語でrites controversy。中国,明末・清初の時代にキリスト教の中国布教法をめぐりイエズス会とフランチェスコ会,ドミニコ会,パリ外国伝道会などの間に起こった論争。

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世界大百科事典 第2版の解説

てんれいもんだい【典礼問題 rites controversy】

中国,明末・清初,カトリック教会が中国で布教するに際し,中国人信徒にどこまで中国伝統の典礼を許容しうるかという点をめぐって引き起こされた論争。マテオリッチの死(1610)前後からイエズス会解散までの160余年にわたる大論争であった。カトリックの東洋布教に先鞭をつけたのはイエズス会であるが,軍隊式に組織されたこの会は,布教に関してはきわめて現実的な方法を採用していた。現地での排外思想をあおらぬため,大学者として権力者に接近し,現地の宗教とカトリックの教理との妥協も辞せず,活動資金を得るためには商業活動もいとわなかった。

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大辞林 第三版の解説

てんれいもんだい【典礼問題】

一七、八世紀、中国での布教方法をめぐって起こったカトリック諸派の宗教上の論争。中国人信者の儒教的な伝統儀礼(典礼)への参加の可否について、これを認めるイエズス会と認めないドミニコ会などが対立。1704年教皇の典礼否認により、康熙こうき帝はイエズス会以外の布教を禁じ、23年雍正ようせい帝はキリスト教の布教を全面的に禁じた。儀礼論争。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

典礼問題
てんれいもんだい

中国にカトリシズムを導入するに際して、主として、信者に中国の天崇拝、祖先崇拝、孔子崇拝に関する儀式をどこまで許すことができるかに関して生じた論争。最初はイエズス会士の間で生じたが、主流派はこれらの諸崇拝をcivil(徳義的)なものとみて寛容的態度をとった。後来のドミニコ会、フランシスコ会、パリ外国宣教会などの諸団体は、これらの儀礼は異端的なものであるから、信者に参加を許すのは不適であるとしてイエズス会を攻撃した。結局解決をローマ当局に求めることになり、教皇クレメンス11世はドミニコ会などの主張をいれて、1704年中国典礼への信者の参加を禁止する勅書を出し、この勅書を励行させるために使節を中国に派遣した。康煕(こうき)帝は、ローマ側のこの決定は自国の礼教に対する教皇の干渉であると考え、二組の使節をローマに派遣して、中国の典礼が迷信的なものではないことを説明させようとした。しかしクレメンス11世は14年エクス・イルラ・ディエとよぶ教皇令を発布して、1704年の勅書の主旨を守らない司祭を破門することを宣した。康煕帝は対抗措置として「紅票」をヨーロッパの各方面に送り、自己の見解を徹底させようとした。ローマ側も第二使節を派遣して事態を収拾しようとしたが、ローマ側の意図を皇帝に理解させることができず、1723年雍正(ようせい)帝はキリスト教の布教を全面的に禁止した。ローマ側も42年典礼問題に関して今後いっさい論及することを禁止した。[矢澤利彦]
『矢澤利彦著『中国とキリスト教』(1972・近藤出版社)』

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世界大百科事典内の典礼問題の言及

【イエズス会】より

…イエズス会は,中国の伝統的慣習を受容する布教方針をとり,それは他教団との意見対立をもたらした。やがて〈典礼問題〉を契機として,1706年(康熙45)以降,布教は禁止され,会士も追放された。その後,19世紀半ばまで禁圧された教団は,1842年(道光22)に再び活動を認められ,江蘇,河北,安徽を中心に拡大した。…

※「典礼問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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