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司馬光 しばこう Si-ma Guang; Ssǔ-ma Kuang

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

司馬光
しばこう
Si-ma Guang; Ssǔ-ma Kuang

[生]天禧3(1019)
[没]元祐1(1086).9. 汴
中国,北宋の学者,政治家。陝州夏県 (山西省夏県) 連水郷の人。字は君実。号は迂夫,迂叟 (うそう) 。諡は太師温国公文正,また温公。そく水 (そくすい) 先生と称される。地方官を歴任したのち,中央政府に入ったが,革新派の王安石と合わず,退いて『資治通鑑』の編集に専念した。

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デジタル大辞泉の解説

しば‐こう〔‐クワウ〕【司馬光】

[1019~1086]中国、北宋の政治家・歴史家。涑水(そくすい)(山西省)の人。神宗のとき王安石の新法に反対して辞職。「資治通鑑(しじつがん)」の編纂(へんさん)に没頭。神宗没後に宰相となり、旧法の復活に尽力したが、8か月後に病死。司馬温公とも称される。

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百科事典マイペディアの解説

司馬光【しばこう】

中国,北宋の政治家,学者。字は君実,諡(おくりな)は文正公,通称を司馬温公。進士に合格後,約20年間地方官を歴任。のち中央に進出したが,王安石が神宗の庇護(ひご)の下で新法を断行したのに反対し,一時中央から退いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

しばこう【司馬光 Sī mǎ Guāng】

1019‐86
中国,北宋中期の歴史学者,政治家。字は君実,諡(おくりな)は文正。温国公に封ぜられたため司馬温公とも呼ぶ。山西省の南西部夏県涑水(そくすい)郷の出身。父の司馬池は杭州などの州知事で終わった。幼少から沈着で老成の風があり,すべてに謹厳で字を書いても一字もゆるがせにしなかった。1038年(宝元1)20歳で科挙の上位に合格,簽蘇州判官事(蘇州の総務部長)をふりだしに太原の副知事などを歴任,早くから中央に戻った。

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大辞林 第三版の解説

しばこう【司馬光】

1019~1086) 中国、北宋中期の政治家・学者。字あざなは君実。諡おくりなは文正。神宗のとき、王安石の新法に反対して政界を退き「資治通鑑」の編集に専念。哲宗の即位で宰相となり、新法を廃して旧法に復した。死後、温国公に封ぜられたので司馬温公とも称される。文集に「司馬文正公集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

司馬光
しばこう
(1019―1086)

中国、北宋(ほくそう)の仁宗、英宗、神宗、哲宗の4代の皇帝の治世に活躍した官僚政治家。字(あざな)は君実。没後温国公に封ぜられたので司馬温公(おんこう)とも、山西省陝州(せんしゅう)夏県(そくすい)郷の出身のため水先生ともよばれる。最後に宰相となり、いわゆる旧法党の領袖(りょうしゅう)として、王安石の行った新法に鋭く対決したが、その名はむしろ、1066年に勅命を受けて撰述(せんじゅつ)を開始し、84年に完成させた名著『資治通鑑(しじつがん)』(歴代名臣事跡)294巻により、司馬遷と並ぶ歴史家として今日に伝わっている。
 少年のとき、大きな水甕(みずがめ)に溺(おぼ)れた幼児をその甕を砕いて救い出したエピソードは、物よりも人の生命を尊重した彼の哲学を伝えるものとしてよく知られ、温公といわれたゆえんでもあるが、この姿勢は彼の生涯にわたって貫かれたばかりでなく、『水紀聞』その他の彼の著述、とくに『資治通鑑』における記事の選択や評価の原点となっている。中国の戦国時代から五代王朝までの1362年間の通史であるこの書物が、有名な宋学(呂(ろ)、張、朱、陸学)の形成をはじめ、王夫之(おうふうし)、梁啓超(りょうけいちょう)の思想から毛沢東(もうたくとう)思想に至るまで有形無形の影響を及ぼしたのも、そのなかに人間の弱さについての普遍的認識が流れていたからであるが、さらに中国のほかベトナム、朝鮮、日本といった東アジアの諸地域にまで広がり、それぞれの地域の文化と民族の主体的自覚を促すのに寄与した。著書は多く、各分野にわたるが、上述のほか心の深層をうかがうものとして『温国文正公文集』『司馬温公詩話』などがある。[山内正博]

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世界大百科事典内の司馬光の言及

【旧法党】より

…江南の先進経済地の現実を背に,中小自営農民の保護,貨幣経済を基礎とした新法党に対し,旧法党は北方の大地主・豪商の利権を代弁する保守的色彩が強い。司馬光,呂公著らが領袖で,哲宗の元祐年間(1086‐93)政権を握ると新法をすべて破棄,その後の新旧両党の争いを招いた。蜀党(蘇軾(そしよく)),洛党(程頤(ていい)),朔(さく)党(劉摯(りゆうし))などの派閥がある。…

【資治通鑑】より

…中国,北宋の司馬光が編んだ歴史書。全294巻。…

【宋】より

… これに対して既得権を侵害されることを恐れた官僚,大地主,大商人,それに宗室たちは猛然と反対したが,神宗は断固としてこれを遂行し,相当の成果を挙げ,財政は黒字に転じた。しかし神宗の没後,哲宗の摂政となった宣仁太后は,旧法党の領袖司馬光を宰相に任じて,新法をことごとく廃止し旧法にかえした。やがて哲宗が親政すると,今度は新法党人を起用したが,彼らは改革よりは反対派に報復することに力を注いだので,新旧両党の争いに拍車をかけることになり,政治の混乱を招いた。…

【中国文学】より

…唐の韓愈,柳宗元に蘇軾およびその父蘇洵(そじゆん)と弟蘇轍(そてつ)および王安石,曾鞏,欧陽修を加えて唐宋八大家という。このほか司馬光の《資治通鑑(しじつがん)》は編年体歴史の傑作であるが,文体は欧陽修に似て流暢であり,文学としても鑑賞にたえる。四六文は形式化したが,南宋末までなお公文書などに使われ,名家が多かった。…

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