改訂新版 世界大百科事典 「煉瓦造建築」の意味・わかりやすい解説
煉瓦造建築 (れんがぞうけんちく)
煉瓦を主要材料とした組積式構造を煉瓦構造(または煉瓦造)brick constructionといい,この構造による建築を煉瓦造建築と呼んでいる。
古代エジプトやメソポタミアでは,日乾煉瓦が主要な建築材料で,厚い壁を築き,ポプラやヤナギの幹を梁材とし,その上にむしろを敷き,土を塗って屋根とした。注目されるのは,木の梁が得がたい場所ではドーム屋根がつくられたことで,アッシリアでは,方形の箱形建物の上部に尖頭ドームをのせた建物がつくられていたことが古代の浮彫から明らかで,まったく同じ形態の住居が,現在でもシリア,エジプトなどで見られる。現在のものは,ドームの直径が4m前後である。古代エジプトでは,放物線形の日乾煉瓦のドームが,主として穀倉として建てられ,その直径は通例2m前後,ときには直径10mに近い大穀倉もつくられていた。
古代のエーゲ海やギリシアの建築でも,通例の建築は,基礎および地上のわずかな部分だけを石材で築き,それから上は,木材で補強した日乾煉瓦で建てていたと考えられ,多数の遺跡が壁の下部しか残っていないことも,このためと思われる。しかし,上質の日乾煉瓦の耐久力は驚くべきもので,前5000年から前3000年のものが発掘され,地上に露出していたものでも前4世紀ぐらいまでさかのぼるものがある。ローマ人は,前1世紀から焼成煉瓦造の建築を発展させ,また煉瓦壁をコンクリートの型枠とし,煉瓦壁とコンクリートを一体に形成し,それを大理石板やスタッコで仕上げるという複合的工法を発展させた。著名なローマのパンテオン(2世紀初期)やオスティアの集合住宅はその好例であり,ローマ建築では,表面から見ただけでは,煉瓦造かコンクリート造かは区別できない。帝政期の上級建築では,天井も煉瓦造コンクリートのボールト(曲面天井)でつくられたが,一般的には床や屋根の小屋組みは木材でつくられた。
中世西欧の主要な建築は石造の教会堂と城郭で,一般住居は通例木造か日乾煉瓦造であったが,北イタリア,北ドイツ,オランダなどの木材・石材の比較的乏しい地域では,しだいに焼成煉瓦造の建築が発展し,治安の安定とともに各地に普及するようになった。とくにオランダの影響を受けたチューダー期のイギリスでは,煉瓦造独特の味わいをもったすぐれた建築がつくられた。
ルネサンス以降は,都市の稠密化にともない,防火上有利な煉瓦造住宅が増加するとともに,石造建築も,運搬・加工の困難な石材を表面だけに用い,見えない部分は大部分煉瓦積みとする複合工法が一般化して,煉瓦造は実質上,西欧建築工法の主流となった。とくに17~18世紀のオランダとイギリスでは,煉瓦壁そのものの風趣が愛好され,ロンドンでは,1666年の大火後に木造建築を禁止し,標準化された煉瓦造の連続住宅が一般化された。また,後期ビクトリア朝では,さまざまな色の煉瓦を組み合わせて,多彩な煉瓦造建築を建てることも流行した。近代に入っても,煉瓦造は住宅建築の主要な工法としての位置を保ち,鉄筋コンクリート造や鉄骨造の骨組みをもつ建物でも,壁の部分は煉瓦積みで埋められる場合が多い。
日本では,明治時代から大正時代まで,帯鉄などで補強した煉瓦造建築がかなり建てられたが,大地震に弱い欠点から,関東大震災(1923)以降はまったく建てられなくなった。
執筆者:桐敷 真次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報