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爾朱栄 じしゅえいEr-zhu Rong; Êrh-chu Jung

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

爾朱栄
じしゅえい
Er-zhu Rong; Êrh-chu Jung

[生]太和17(493)
[没]永安3(530)
中国,北魏末の権臣。字は天宝。匈奴羯種出身。彼の家は代々有力な領民首長であった。北魏の政治が乱れた際,将軍として武勲を立て次第に勢力を増した。霊太后が明帝を殺して幼主を立てると,兵をあげて霊太后,幼主を殺し,あらためて孝荘帝を立てた。以後,太原王に封じられ,晋陽を根拠地として国政を握った。孝荘帝はその専横を憎み,近臣とはかって宮中で誅殺した。

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世界大百科事典 第2版の解説

じしゅえい【爾朱栄 Ěr zhū Róng】

493‐530
中国,北魏末の軍閥。代々北秀容地方(山西省朔県)に土着する部落長で,大牧場主でもあった。爾朱栄はこの一族の指導者で,六鎮(りくちん)の乱が勃発すると私財を投じて軍団を編成し,各地の反乱討伐を推し進めた。たまたま胡太后一派の孝明帝毒殺事件が起こると洛陽に進撃して太后らを殺し,つづいて晋陽を本拠として葛栄の反乱を鎮定した。爾朱栄の初志は朝政を粛正することにあったが,太后とともに多数の朝士を虐殺したことが反発を招き,みずからの立てた孝荘帝のために誅された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

爾朱栄
じしゅえい
(493―530)

中国、北魏(ほくぎ)末の内乱期における実力者。北秀容(ほくしゅうよう)(山西省)に土着した契胡(けいこ)すなわち羯(けつ)種の首長(しゅちょう)であったが、六鎮(りくちん)の乱が起こるとその武力でもって台頭した。528年孝明帝が霊太后(れいたいこう)派に殺されると、孝荘帝を擁立して洛陽(らくよう)に進軍し、太后、幼主および朝臣2000余人を虐殺(河陰(かいん)の変)、引き続いて六鎮の乱の鎮圧に向かい、530年には7年に及ぶ大乱の鎮静化に成功した。栄は大丞相(じょうしょう)として洛陽の実権を握り、自らは晋陽(しんよう)(山西省)に本拠を置いたが、反発を強めた孝荘帝と朝臣グループにより、530年宮中で誅殺(ちゅうさつ)された。爾朱氏一族はこれに対し帝を殺して一時権力を握ったものの、爾朱氏から離脱し河北の豪族と結んだ高歓(こうかん)によって滅ぼされた。[窪添慶文]

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