第2次大戦前における天皇の軍事上の最高顧問機関。元帥marshallの称号はフランク王の〈騎馬の統率者marescalci〉に発するといわれ,中世ヨーロッパでは軍指揮官の意であった。12,13世紀ごろからフランスやイギリスで国の最高司令官に与えられるようになった。また,中国では《春秋左氏伝》に軍隊の統率者という意味での元帥(前633年の記事)の語がみられる。唐代初期には軍隊の官職名として左・右元帥が置かれ,その後制度として元帥,副元帥が戦時の最高責任者としておかれ,元帥には皇帝の子や甥が,副元帥には臣下の大臣から選ばれた。この制度は元代まで続き,元代には辺境地域に都元帥府,元帥府,分元帥府を設け,軍事を進める地方長官としてダルガチや元帥をおいた。その後1955-65年の人民解放軍には軍の階級の最高位として元帥(大元帥,元帥)があった。当時,朱徳ら10人の元帥がいた。なお,文化大革命において解放軍の階級制は廃止され,元帥の階級もなくなった。
日本では1898年元帥府条例により陸・海軍大将の中の〈老功卓抜〉な者から選ばれて元帥の称号を与えられた。このとき元帥府に列せられたのは,小松宮彰仁親王,山県有朋,大山巌,西郷従道の4人であった。元帥という名称はすでに1872年(明治5)の陸軍職制で元帥を一等,大将を二等などとしたことがあった。これはフランス語のmaréchalを陸軍元帥と訳し,一等官としたもので,西郷隆盛が任ぜられた。しかし,翌年1等ずつ引き下げられ,この称号はなくなった。元帥府に列する元帥は官職ではなく称号であるが,権能においては国務における元老のごとくであり,一定の国法上の職務も定期的な会合もなく,元帥会議というような機関もなく,顧問としての行動は元帥各人の責任であった。また,元帥には定年がなく,終身大将として現役であり,副官2人がつけられていた。陸海軍ではそれぞれの最高長老として重要問題についてはその承認を求めるのが慣例になっていた。敗戦までに元帥になった者は,陸軍17名,海軍13名であった。
執筆者:雨宮 昭一
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天皇の軍事上の最高顧問。1898年(明治31)1月20日公布の元帥府条例によって設置された。同時に下された勅語によると、陸海軍大将のなかでとくに老功卓抜なる者を選んで天皇の顧問とするもので、元帥府に列せられた大将には元帥の称号が与えられた。諮詢(しじゅん)を待って上奏する軍事参議官に比べ、軍事上の最高顧問とされた元帥の権能ははるかに大きく、国務における元老に等しい役割を軍事上で演じた。元帥には定年がなく、終身その地位にあった。政党の勢力伸長に対抗して、軍部の権威を高める意味があったが、終身制のため老齢者が権威を保って、軍の保守的、反動的性格を強める原因となった。昭和20年11月30日廃止。
[藤原 彰]
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…とくに国防計画の陸海軍二元化はその後の陸海軍の軍備拡張競争,つまり軍事予算の争奪戦を激化させ,この対立がこれ以後の政治を大きく左右する。 二元統帥の調整機能として創立されたのが1898年の元帥府で,元帥府に列せられた陸海軍大将は元帥の称号を授けられ,終身現役大将の身分を保持すると定められた。元帥府設置と同時に元帥となった山県有朋,山県の死後の上原勇作,海軍の最長老東郷平八郎の影響力は大きかった。…
※「元帥府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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