狩野安信
かのうやすのぶ
[生]慶長18(1613).12.1. 京都
[没]貞享2(1685).9.4. 江戸
江戸時代初期の画家。狩野孝信の3男で,永徳の末弟長信の女婿。初め源四郎,右京進,のち永真,牧心斎などと号した。従兄の貞信没後,狩野宗家を継ぐ。寛永年間 (1624~44) 江戸へ出,幕府御用絵師として中橋に屋敷を賜わり,中橋狩野の祖となる。寛永,承応,寛文,延宝度造営の内裏や,江戸城本丸,西の丸の障壁画制作に従事し,寛文2 (62) 年法眼に昇叙。主要作品は大徳寺玉林院『竹林七賢,四愛図』襖絵,三渓園『山水図』襖絵,『当麻 (たいま) 縁起絵巻』など。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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狩野安信 かのう-やすのぶ
1614*-1685 江戸時代前期の画家。
慶長18年12月1日生まれ。狩野孝信の3男。狩野貞信の養子となり,狩野宗家をつぐ。寛永年間(1624-44)に幕府の奥絵師として江戸で中橋狩野家をたてた。御所障壁画制作に参加し,延宝年間には狩野派の最高指導者として紫宸殿の「賢聖(けんじょうの)障子」をえがく。貞享(じょうきょう)2年9月4日死去。73歳。京都出身。通称は四郎次郎,右京。号は永真,牧心斎。作品はほかに大徳寺玉林院襖絵「竹林七賢・四愛図」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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狩野安信 (かのうやすのぶ)
生年月日:1613年12月1日
江戸時代前期の画家
1685年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の狩野安信の言及
【狩野派】より
…室町中期から明治初期まで続いた,日本画の最も代表的な流派。15世紀中ごろに室町幕府の御用絵師的な地位についた狩野正信を始祖とする。正信は俗人の専門画家でやまと絵と[漢画]の両方を手がけ,とくに漢画において時流に即してその内容を平明なものにした。流派としての基礎を築いたのは正信の子の元信である。漢画の表現力にやまと絵の彩色を加えた明快で装飾的な画面は,当時の好みを反映させたものであり,また工房を組織しての共同制作は数多い障壁画制作にかなうものであった。…
※「狩野安信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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