日本歴史地名大系 「猪苗代城跡」の解説
猪苗代城跡
いなわしろじようあと
磐梯山南東山麓から南に延びる舌状台地(比高約三〇メートル)の上にある平山城で、
中世、当城に拠って猪苗代地方に勢力を振るった猪苗代氏は会津蘆名氏の一族で、蘆名盛連(平姓三浦氏佐原義連の子)の長男経連が猪苗代地方を領し猪苗代氏を称したことに始まるという(「新編会津風土記」など)。同氏の系譜は「伊達世臣家譜」に収める猪苗代氏系図や「耶麻郡誌」所載の猪苗代系図などいくつかあって異同はあるものの、いずれも経連を始祖としている。「会津古塁記」などは経連が当地に城を築いたのを建久二年(一一九一)のこととするが、惣領蘆名氏が会津地方になんらかのかたちで勢力を築いたのは鎌倉中期以降(宝治合戦以降)と推定されるので(「福島県史」など)、当城の築城も一三世紀以降のことと思われる。なお「温故拾要抄」などでは、経連が猪苗代
前述のように猪苗代氏は猪苗代地方をその勢力下としていたと思われるが、永和元年(一三七五)一一月一〇日には三浦(猪苗代)盛通の妻ゑかくが重代相伝の耶麻郡
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報