猿賀神社(読み)さるかじんじや

日本歴史地名大系 「猿賀神社」の解説

猿賀神社
さるかじんじや

[現在地名]尾上町猿賀 石林

集落西北の石林いしばやしにあり、祭神上毛野君田道命、旧県社。例祭日旧暦八月一五日、七日堂大祭旧暦一月七日。

猿賀山長命院神宮寺縁起及宝物調(市立弘前図書館蔵)によれば、仁徳天皇五五年蝦夷制圧の途中に倒れた上毛野君田道の霊を南部鹿角かづの猿賀野さるがの(現秋田県鹿角市)の産土神として祀った。延暦年間(七八二―八〇六)坂上田村麻呂は蝦夷制圧に苦戦した時に、田道の霊に導かれたことから、深沙しんしや宮として創立大同二年(八〇七)再建一説には阿倍比羅夫の創立とする。真言宗の擁護神深沙大将が田道と結び付けられ、深沙大権現となったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「猿賀神社」の意味・わかりやすい解説

猿賀神社
さるかじんじゃ

青森県平川(ひらかわ)市猿賀に鎮座。上毛野君田道命(かみつけぬのきみたみちのみこと)を祀(まつ)る。仁徳(にんとく)天皇55年、蝦夷(えみし)征討のおり戦死を遂げた田道命の霊を里人が祀ったことに始まり、さらに807年(大同2)神霊の助けにより勝利を得た坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が猿賀山に遷座したと伝える。古くは深沙大権現(しんしゃだいごんげん)と称し、中世一時衰微したが、のち津軽氏の祈願所として社領100石を有し栄えた。旧県社。例祭は旧暦8月15日を中心に3日間にわたり、県下獅子(しし)踊大会や相撲(すもう)大会が催される。また旧暦正月7日の七日堂(なぬかどう)大祭にはその年の豊凶を占う「お柳(柳がらみ)神事」が執り行われる。

[高橋美由紀]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の猿賀神社の言及

【尾上[町]】より

…また苗木,植木の産地としても知られる。蝦夷制圧の途中に倒れた上毛野君田道をまつる猿賀神社は農民の信仰が厚く,旧暦8月15日の大祭はにぎわいをみせる。境内の森はウ,サギの繁殖地として1935年に天然記念物に指定されたが,近年はウ,サギの姿はほとんどみられない。…

※「猿賀神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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