日本歴史地名大系 「玄性寺」の解説 玄性寺げんしようじ 福井県:坂井郡丸岡町熊堂村玄性寺[現在地名]丸岡町熊堂熊堂(くまんどう)の西部にある。浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。もと天台宗平泉(へいせん)寺(現福井県勝山市)の末院として大野(おおの)郡本郷(ほんごう)村(現同市)にあった寺で、その後、浄土真宗に帰依、天正二年(一五七四)吉田(よしだ)郡定重(さだしげ)村(現福井市)に移建した。同一九年の本覚寺末寺帳(本願寺文書)に「サダシゲノ了祐」とあるのはこの寺の住僧をさしている。慶長一一年(一六〇六)了西の時、正淋(しようりん)寺と寺号を許され、寛永元年(一六二四)熊堂村に移ったという。正淋寺は福井表御堂(現浄土真宗本願寺派福井別院)内にあった性玄(しようげん)寺の住職が、元和年中(一六一五―二四)に絶えたため、同寺住職を兼帯することとなった。 玄性寺げんしようじ 栃木県:大田原市福原村玄性寺[現在地名]大田原市福原福原(ふくわら)集落の中央部にある。須峯山瑠璃光院と号し、曹洞宗。本尊は薬師如来。創建の時期は開基を那須資房とする大永年間(一五二一―二八)と、天正一八年(一五九〇)那須家を再興し、福原に入った那須資景とする説とがある。資景の法号須峯院月山洞智大居士、資景嫡子資重の法号自鏡院殿天真玄性大居士から考えれば、資重の没後、父資景により創建されたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by