中国、清(しん)朝中期の学者。王念孫(ねんそん)の子。字(あざな)は伯申(はくしん)。江蘇(こうそ)省高郵(こうゆう)州の人。1799年(嘉慶4)の進士。翰林院(かんりんいん)編修となり郷試の正考官や、都察院(とさついん)、兵部、吏部の高官を歴任して会試の知貢挙(ちこうきょ)を務め、礼部尚書となり、道光(どうこう)14年11月24日、工部尚書在官中に卒(しゅっ)し、文簡(ぶんかん)と諡(おくりな)された。その著『経義述聞(けいぎじゅつぶん)』32巻(1827)は、その名のとおり父から聞いた経解釈を述べるという意味で、「家大人曰(かたいじんいわ)く」として父念孫の説を明示しつつ、古来の伝箋(でんせん)注釈ではなお疑義のある箇所につき、十分な証拠に基づく論証を展開して、経本来の意を解明する。『太歳考(たいさいこう)』『周秦名字解詁(しゅうしんめいじかいこ)』はこれに合刊され、また『経伝釈詞(けいでんしゃくし)』10巻は先秦(せんしん)古書における虚字の用法を解く。その学は父とともに求是の学といわれ、戴震(たいしん)、段玉裁(だんぎょくさい)とあわせ戴段二王の学と称される。
[近藤光男 2016年3月18日]
中国,清の経学者。字は伯申,曼卿と号した。江蘇高郵の人。嘉慶4年(1799)最優秀の成績で進士となり,工部尚書にまでなった。父王念孫の学を受けついで,ことに文字・音韻の学に詳しく,高郵王氏父子と並称された。実は王念孫の父,王安国(文粛公)も吏部尚書にまでなった篤学の高官で,王引之の学問は王氏3代の学の精華である。《経義述聞》15巻,《経伝釈詞》10巻はとくに名高いが,経書の訓詁を説く《経義述聞》は,すなわち〈聞けるを述ぶ〉を書名とするように,すすんで父王念孫の学問の祖述者であろうとしているため,どこが王引之の独創であるかを見とどけることが,しばしば困難となる。死後文簡公と諡(おくりな)された。
執筆者:尾崎 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…皖とは中国安徽省の古名で,清代に,この地に多くの学者を輩出したので,その人々を皖派と称しているが,大きくは浙西学派に含まれる。江永,戴震に源を発して段玉裁,任大椿,王念孫,王引之,さらに後の兪樾(ゆえつ),孫詒譲(そんいじよう)らに受けつがれた。この学派は懐疑的態度によって事実を確かめ,帰納的論理的に分析する方法を共通点としていることで,恵棟らの漢代訓詁を固守する呉派とは大いに異なる。…
…親字4万7035字,さらに古代の異体字1995字を収めるというのは,それまで中国で作られたどの字書よりも多い。ただ多くの人を使役しわずか6年間で完成させただけに誤りも多く,道光帝の命を受けて1827年(道光7)王引之が《字典考証》を作り,引用上の誤り2588条を正した。いまの本は普通この《考証》を付録しているが,誤りはなお多いという。…
※「王引之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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