段玉裁(読み)ダンギョクサイ

デジタル大辞泉 「段玉裁」の意味・読み・例文・類語

だん‐ぎょくさい【段玉裁】

[1735~1815]中国の考証学者。金壇江蘇省)の人。あざな若膺じゃくよう。号、懋堂もどう戴震たいしん師事、文字訓詁の学に長じ、「説文解字注」「六書音韵りくしょおんいん表」などを著した。

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精選版 日本国語大辞典 「段玉裁」の意味・読み・例文・類語

だん‐ぎょくさい【段玉裁】

  1. 中国、清の言語学者。字(あざな)は若膺(じゃくよう)。号は懋堂(もどう)。「説文研究にすぐれた業績があり、段注といわれる「説文解字注」が有名。その他「六書音韵(りくしょおんいん)表」「古今尚書撰異」などの著がある。(一七三五‐一八一五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「段玉裁」の意味・わかりやすい解説

段玉裁
だんぎょくさい
(1735―1815)

中国、清(しん)朝中葉後期の学者。字(あざな)は若膺(じゃくよう)、号は懋堂(もどう)。江蘇(こうそ)省金壇(きんだん)県の人。1760年(乾隆25)の挙人で、四川(しせん)省巫山(ふざん)県の知県となるが、まもなく辞し学問に専心した。初めて都に出たとき、戴震(たいしん)に会い、弟子の礼をとる。「詩経韵譜(いんぷ)」「群経韵譜」をつくり、顧炎武(こえんぶ)が古韻十部、江永(こうえい)が十三部をたてたのに継ぎ、支(し)・脂(し)・之(し)の三部を分け十七部説をたてた。初めは承認しなかった戴震から激賞の手紙を受け(1773)、これが「六書音韵(りくしょおんいん)表」として結実したのを、終生の努力を積んで成った『説文(せつもん)解字注』全30巻に付して刊刻した(1815)。その著『古文尚書撰異(せんい)』『毛詩詁訓(こくん)伝』『詩経小学』『周礼(しゅらい)漢読考』などにこの古韻研究の成果が一貫してみられる。集に『経韵楼集』がある。

[近藤光男 2018年7月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「段玉裁」の意味・わかりやすい解説

段玉裁 (だんぎょくさい)
Duàn Yù cái
生没年:1735-1815

中国,清の経学者,文字学者。字は若膺(じやくよう),茂堂と号した。江蘇省金壇の人。乾隆25年(1760)の挙人で,四川省巫山県の知事にまでなった。官吏としての経歴は恵まれたものといえないが,最初の上京以後戴震に師事,役所の仕事を終えてから夜研究に専念する生活を送り,多くの業績をあげた。《六書音均表(りくしよおんいんひよう)》は古音(こいん)を17部に分け,とくに後代一つに合流していた支・脂・之3部の区別を明らかにしたことの意味は大きい。《音均表》を付録した《説文解字注》は説文学の最高峰とされ,ほかにも《古文尚書撰異》32巻など今日も利用される多くの著書があり,それらはみずから刻した《経韻楼叢書》に収められている。詩人の龔自珍(きようじちん)は彼の外孫である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「段玉裁」の意味・わかりやすい解説

段玉裁
だんぎょくさい
Duan Yu-cai

[生]雍正13(1735)
[没]嘉慶20(1815)
中国,清代の学者。江蘇省金壇県の人。字は若膺 (じゃくよう) 。号は懋堂 (ぼうどう) 。乾隆 25 (1760) 年郷試に及第。貴州・四川方面の県知事を歴任。同 47年官を辞して蘇州の楓橋に引退し,以後終生研究に没頭。早くから戴震に師事して顧炎武,江永以来の音韻学を修め,『詩経韻譜』『群経韻譜』をまとめ,さらに発展させて『六書音均 (おんいん) 表』 (5巻,76) を完成,古韻 17部説を唱えて古韻分部史上重要な貢献をした。また後漢の許慎の『説文解字』の注釈書『説文解字注』 (30巻) を完成させ,字音,字義の推移を明らかにし,実例をあげて古典解釈の方法を示した。今日でも説文研究上最も基本的な文献となっている。著書『古文尚書撰異』 (32巻) ,『毛詩故訓伝』 (30巻) ,『周礼漢読考』 (6巻) ,詩文集『経韻楼集』 (12巻) 。

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百科事典マイペディア 「段玉裁」の意味・わかりやすい解説

段玉裁【だんぎょくさい】

中国,清代の経学者,文字学者。江蘇省の人。1763年北京で戴震に師事。官吏となって知県を歴任したが,1782年以後郷里に隠棲(いんせい)し学問に専心。《説文解字》の注に精根を傾け,《説文解字注》を著し,清朝考証学の名を高からしめた。
→関連項目説文解字

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「段玉裁」の解説

段玉裁(だんぎょくさい)
Duan Yucai

1735~1815

清の考証学者。江蘇省金壇(きんだん)の人。字は若膺(じゃくよう),号は懋堂(ぼうどう)。戴震(たいしん)の弟子で,特に文字・音韻の学に優れ,『六書音均表』『説文解字注』などの名著がある。

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旺文社世界史事典 三訂版 「段玉裁」の解説

段 玉裁
だんぎょくさい

1735〜1815
清末期の考証学者
江蘇の人。戴震 (たいしん) に学び,知県を退任して学問に専念。音韻と文字学の研究に多くの業績をあげた。『説文解字 (せつもんかいじ) 注』は古文字研究の名著とされた。

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世界大百科事典(旧版)内の段玉裁の言及

【皖派】より

…皖とは中国安徽省の古名で,清代に,この地に多くの学者を輩出したので,その人々を皖派と称しているが,大きくは浙西学派に含まれる。江永,戴震に源を発して段玉裁,任大椿,王念孫,王引之,さらに後の兪樾(ゆえつ),孫詒譲(そんいじよう)らに受けつがれた。この学派は懐疑的態度によって事実を確かめ,帰納的論理的に分析する方法を共通点としていることで,恵棟らの漢代訓詁を固守する呉派とは大いに異なる。…

【龔自珍】より

…字は璱人(しつじん),定盦(ていあん)と号し,浙江省杭州の人。父祖2代にわたる官僚家庭に生まれ,また清朝有数の言語学者段玉裁を祖父にもつ。幼少より異常な神経をそなえた多感の才子で,時代の落莫をいち早く察知して憂悶し,ことに劉逢禄に師事して公羊学に傾倒すると,革新への情熱をたぎらせた。…

【文字学】より

…まず顧炎武が《音学五書》を著して,古音を10部に分けた。つづいて江永が《古韻標準》を著し,13部とし,段玉裁が《六書音韻表》で17部に分け,戴震は《声類表》を著し,9類25部とした。さらに王念孫が21部,江有誥(こうゆうこう)も《音学十書》において21部とする。…

※「段玉裁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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