中国、清(しん)朝中葉後期の学者。字(あざな)は若膺(じゃくよう)、号は懋堂(もどう)。江蘇(こうそ)省金壇(きんだん)県の人。1760年(乾隆25)の挙人で、四川(しせん)省巫山(ふざん)県の知県となるが、まもなく辞し学問に専心した。初めて都に出たとき、戴震(たいしん)に会い、弟子の礼をとる。「詩経韵譜(いんぷ)」「群経韵譜」をつくり、顧炎武(こえんぶ)が古韻十部、江永(こうえい)が十三部をたてたのに継ぎ、支(し)・脂(し)・之(し)の三部を分け十七部説をたてた。初めは承認しなかった戴震から激賞の手紙を受け(1773)、これが「六書音韵(りくしょおんいん)表」として結実したのを、終生の努力を積んで成った『説文(せつもん)解字注』全30巻に付して刊刻した(1815)。その著『古文尚書撰異(せんい)』『毛詩詁訓(こくん)伝』『詩経小学』『周礼(しゅらい)漢読考』などにこの古韻研究の成果が一貫してみられる。集に『経韵楼集』がある。
[近藤光男 2018年7月20日]
中国,清の経学者,文字学者。字は若膺(じやくよう),茂堂と号した。江蘇省金壇の人。乾隆25年(1760)の挙人で,四川省巫山県の知事にまでなった。官吏としての経歴は恵まれたものといえないが,最初の上京以後戴震に師事,役所の仕事を終えてから夜研究に専念する生活を送り,多くの業績をあげた。《六書音均表(りくしよおんいんひよう)》は古音(こいん)を17部に分け,とくに後代一つに合流していた支・脂・之3部の区別を明らかにしたことの意味は大きい。《音均表》を付録した《説文解字注》は説文学の最高峰とされ,ほかにも《古文尚書撰異》32巻など今日も利用される多くの著書があり,それらはみずから刻した《経韻楼叢書》に収められている。詩人の龔自珍(きようじちん)は彼の外孫である。
執筆者:尾崎 雄二郎
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1735~1815
清の考証学者。江蘇省金壇(きんだん)の人。字は若膺(じゃくよう),号は懋堂(ぼうどう)。戴震(たいしん)の弟子で,特に文字・音韻の学に優れ,『六書音均表』『説文解字注』などの名著がある。
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…皖とは中国安徽省の古名で,清代に,この地に多くの学者を輩出したので,その人々を皖派と称しているが,大きくは浙西学派に含まれる。江永,戴震に源を発して段玉裁,任大椿,王念孫,王引之,さらに後の兪樾(ゆえつ),孫詒譲(そんいじよう)らに受けつがれた。この学派は懐疑的態度によって事実を確かめ,帰納的論理的に分析する方法を共通点としていることで,恵棟らの漢代訓詁を固守する呉派とは大いに異なる。…
…字は璱人(しつじん),定盦(ていあん)と号し,浙江省杭州の人。父祖2代にわたる官僚家庭に生まれ,また清朝有数の言語学者段玉裁を祖父にもつ。幼少より異常な神経をそなえた多感の才子で,時代の落莫をいち早く察知して憂悶し,ことに劉逢禄に師事して公羊学に傾倒すると,革新への情熱をたぎらせた。…
…まず顧炎武が《音学五書》を著して,古音を10部に分けた。つづいて江永が《古韻標準》を著し,13部とし,段玉裁が《六書音韻表》で17部に分け,戴震は《声類表》を著し,9類25部とした。さらに王念孫が21部,江有誥(こうゆうこう)も《音学十書》において21部とする。…
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